20240523 カレーライスを一(いち)から作る

今朝は、時事的な問題はいろいろあるも全部スタックしているように見えるので、最近読んだ書籍について記してみようと思います。

 

文字通り、カレーライスを食材から何から全部自作するという、武蔵野美術大学で行われた学生プロジェクトのドキュメンタリー的な本です。指導されたのは冒険家としても知られる教授の関野吉晴氏。本の著者はテレビのディレクターの方のようです。その本の内容は、著者自身が映画化もしているとのこと。

 

カレーを作るには、お米やじゃがいもにんじん玉ねぎに加えてターメリックとかカルダモンとか唐辛子とか香辛料も作らないといけません。関野ゼミの学生たちは、1年かけて、これらの種子を集め、近所の農場の一部を借り、必要な植物を栽培します。また、何から何まで一から作るという方針ですので、大学の陶芸の先生に教わりながら、泥を捏ねてお皿を焼き、竹細工でスプーンを自作します。塩は、三浦海岸まで出かけて、浜辺で海水を焼いて自作しています。

 

さて問題は、肉です。

 

最初は面白半分にダチョウの肉にしようというアイデアが採用され、ヒナを育てようとしますが寒暖の差などに弱く全部死んでしまいます。困った学生たちは育てやすそうな鶏とホロホロ鳥に路線変更、懸命に世話して雛をなんとか食べられる大きさにまで育てます。

 

育てる間に、担当者に情が芽生えてしまいました。小さな雛から育てた鶏とホロホロ鳥。餌を持っていくと喜んで寄ってくる彼らを、最後、食べることができるのか。彼らは会議を開いて野菜カレーで良いのではないか、などを話し合います。屠殺場の職員さんたちを招いて話を聞きます。そこでわかったのは、屠殺場の方々はプロに徹していて、自分のペットは食べることはできないが、食肉用に育てられた牛豚鶏は何の感情もなく屠ることができる。そこでいかに苦しめないかの技術も高めている、我々の職業は歴史的に卑しめられてきたが、人間にとって必要な職業であると誇りを持っているしいつか認められる日が来ると信じている、ということ。

 

ネタバレになるので最後までは書きませんが、印象的だったのは指導者の関野先生が、みんな動物だと情が移るけど、植物だって生命をいただくことには変わりないよね、と述べられていたことです。

 

さてなんで私がこんな読書経験をここに書くかといえば、屠殺場関係者がペットは殺せないが食肉用に育てられた動物なら職務として感情抜きに処理できると言ったことが妙に引っかかったからです。陰謀論の文脈に即していえば「彼ら」が我々を動物視していることは大体明らかで、そうであればこそ戦争も毒ワクも行使することに躊躇いがない。ニンゲンはものを考えたり感情があったり言葉を話したりするから牛豚に比べれば少しは面倒だが、まあ大差ない、奴らの運命は俺たちが決めるんだ、それが当然ではないかと思われている、そんな考えが頭をよぎったのです。この考え方自体は陰謀論の中に既にありますから、別に目新しいものではないのですが。

 

スーパーで切り身を買って調理する生活ではわからないことがたくさんあると。そこは改めて思いますが、生きるために動植物をいただくことは仕方がないにしても、だから動植物の処理は俺らの一存だ、という考え方は、いかがなものかと。「彼ら」が我々に対して考えていることと、我々が動植物に対して考えていることは実は相似系かもしれません。