20240404 ヒトをヒトとも思わない

静岡県の川勝知事が新年度の入庁式で職業差別的な発言を行ったことを指弾され6月に辞職すると公表。その内容は、県庁に働く人は頭脳労働者で偉くて、農業や畜産の従業者とは違うんだから頑張ってねということだったと。これは誰でも怒るわな。発言を切り取られたなどと言い訳しているようですけど、ポロッと本音が出たんだなと思う人多いでしょう。ちなみになぜ即日辞職ではないのかといえばボーナスが出るのが6月だからというツッコミあり。

 

さらに非道いなーと思わせられたのは、アメリカ共和党の下院議員、ティム・ウォルバーグ氏(ミシガン州選出、72歳)が最近、「ガザ地区への人道支援に1セントも使うな。原爆を落として長崎や広島みたいにすればいい」「早く終わらせろ」とタウンミーティングで発言したと報道されていること。さすがに地元でも非難が起きて「いやあれは米軍にリスクを負わせずイスラエルが迅速に勝利するための比喩だった」と何がどう言い訳になっているのかわからない言い訳を言っているようです。

 

さらにさらに非道いのはやっぱりイスラエルで、テロしたハマスを許さんというだけの理屈で既に民間人3万人を殺害し、最近では病院だろうが人道支援施設だろうが構わず攻撃する始末。

 

もっと言えば、国民に毒を盛って(注射のことです)どんどん殺してしまえと考える政府や政治家、それに協力する人々がいる(らしい?)ことも我々は認識しました。

 

こういう人たちのモノの考え方を理解することは恐ろしく困難ですが、私は、フト思いついたことがあるんです。

 

あくまでイメージですけど、あなたが牧場を持っていて、そこに例えば1万頭の牛がいるとしてください。そして、その牛は言葉を話し、お互いに意思疎通して一定の知的活動をすると思ってみてください。あなたはそれらの牛を使って、農作業をさせたり、乳を絞ったり物を運ばせたりして収益を得ているとしましょう。言葉を話すと言ったって牛は牛だ、そう考えれば、加齢して使えなくなった牛は面倒だから潰してしまえと考えるでしょうし、餌の経費が大変だとなれば牛をまとめて売り払ったり、要らない頭数だけ集めて殺処分したりするんじゃないですか。実際、伝染病が出たぞとなれば何百頭もまとめて処分してますよね。

 

ただ、言葉も喋るしお互いにコミュニケーションをとる牛の群れはある意味怖い。オーウェルにアニマル・ファームっていう農場の動物が反乱を起こす(そして共産化していく)小説がありましたね。飼い主は実は集団力という面では無力なので、家畜が一致団結して飼い主を襲ってこないように細心の注意を払わざるを得ない。でも時々本音が出てしまう。

 

川勝氏もウォルバーグ氏もイスラエルも各国政府も、同じなんだと思いませんか。彼らは自分達を飼い主だと思っている可能性が高い。そうでなければ、面倒だからまとめて殺してしまえとか、そのためには原爆が便利だぜなんていう発想(ウォルバーグ氏)が出てくるはずがない。俺たちの安全が犯されたんだから報復の過程でガザ住民が何万人死のうと知ったこっちゃない(イスラエル)も同様。飼い主と牛は違うよね(川勝氏)も同じ。

 

選民思想とか優生学とかが話題になりますけど、ナチス優生学に基づいて行動したからいけないというのは、要するに彼らは我々のことを家畜みたいに思ってるんですよという啓蒙でしょう。

 

追加的に気になる情報を記せば最近「動物言語学」という学問が興ってきました。クジラやイルカが音波でコミュニケーションしていることは以前から言われていましたが、なんとシジュウカラなど鳥類も同様だ彼らの鳴き声には文法があると東大の若い先生が論文にして話題になっています。鳥もそうなら犬猫も牛豚鶏もそうでしょう。

 

動物だから、知能がないから、言葉も話さないから、好きなようにしてもいいんだとヒトが考えるとすれば、それは正しいのでしょうか(少なくとも動物も「会話して」います)。犬猫を好きなように扱って良いと思うとすればそれはイスラエルがガザ住民なんてどうでもいいのだと考えるのとどの程度違う話なのでしょうか。高い知能を持つ鯨を獲ってはいけない日本人はなんと残酷なんだと西欧は言ってきますが、私が今日、書いたような全体構図の中で、彼らそして私たちは何を考えるべきなんでしょうね。