タイトルの通り。
神話で宇宙人や他の惑星、他の銀河系統に触れたものはない。
死後の世界を描いたものはある。日本にも西洋にもある。一方で世界の創造、天地創造、国産みの神話などは押し並べて地球だけが対象だ。
これは何を意味するのか。
神話を作ったのも地球の人類だとすれば、その当時の地球人類に宇宙とか他の銀河系という概念がなく、その想像力の限界がそのまま神話に反映されたと考えるのが一つの仮説。
他の考え方としてあり得るのは、神話を作り出した古代人は宇宙人の存在を認識していたが、それを隠蔽するために神話を作ったと。
何を馬鹿なというかもしれませんが、これ結構重大な問題だと思う。
歴史は作られるものであることは、近現代でも実感するところ。歴史を作るのが司馬遷以来、結局は政府だということから考えると、古事記にしても日本書紀にしても何かを隠すために作られている面は否めない、というよりそれが本質と考えた方が良い。ならばなぜ神話がその例外になろうか。
卑近な例では勤め先が最近、社史を作りました。
天下りできていた歴代トップの功績がすごいとか書いてある。社員は誰も見向きもしない。訳のわからないトップの愚行をカバーしながら仕事してきた無名の生え抜き社員たちがどれだけ苦労したか。そんなことは1行も書いてない。ああこれが歴史だなと実感するばかり。
例えば江戸時代。吉宗にしても名将軍と言われるのは財政改革やった人たちばかり。景気を良くした田沼意次らは腐敗官僚みたいに扱われる。これ、絶対に意図があるでしょ。子供への刷り込み。
そう考えると神話も宗教も何かを隠すためにストーリーを組み立てているという見方は大事だろう。地球は、閉ざされていないと思う。