学校の歴史で今どう教えているか知らないが、40年前は、ヨーロッパの人口は産業革命の前に増えたと言っていた。角山栄「図説西洋経済史」の説明を見ると、人口増加が「産業革命を準備した」と書いてある。いつの間にか、産業革命が起きて生産力が拡大してから、さらなる人口を支えることができるようになった、と前後逆転した教え方になったような気がする。
栗本慎一郎「病にかかった江戸時代」は、著名な人口歴史学者速水融教授から受けた学部時代の歴史人口学の講義の思い出を綴っている。それは、江戸時代前期には平和になって新田開発が進んで石高も上がったが、人口はそれに先んじて増えていた、と言うものだった。これも、生産力が上がったから人口が増えたんだという通念に反する歴史的事実といえよう。
では、それを信じるとして、なぜそんなことが起きるのかを学者なら考えるはずだ。200年も300年も前のことだから想像するしかない部分はある。限られた情報しかないが、その中で論理的に考えようとすれば、当時の乳幼児死亡率が非常に高かったことに注目せざるを得ない。一人の女性が一生のうちに五人も十人も出産し、そのうち7割くらいがまともに育たずに死んでしまう世界だから、生き延びる子供が人流増えるだけでも人口は爆発するのだ。で、子供の死因の大部分は風邪だったりするわけだから、今で考えればウイルスへの耐性がちょっと変化するだけで、人口は調節できることになる。
病の伝播というのは不思議なもので、中世欧州で国民の7割が死んだとされるペストなんかでも、なぜか3割は生き延びるのだ。完全に一人も残らず死に絶えるということはない。それは病原菌にとって宿主の絶滅すなわち自分達の居場所がなくなることを意味する。そんな悲惨な共生関係というものもあるのだ。
この世は造物主たるゲーマー/プレイヤーがキャラクターたる我々人類を操作して、自ら下位世界を作るところまで(つまり下位世界を生み出す「神」(ゲーマー/プレイヤー))になれるまで育てられるかという育成プロジェクトみたいなものだという仮説はもう何遍も書いた。
石器時代から始めてメタバースで擬地球を創造するに至るまでの育成ゲームだ。その間に、農業生産も増やさなければいけないし、機械文明にも到達させなければならない。タイミングに応じて、人口を調節する必要がある。しかも自らの意思で活動していると思い込んでいるキャラクターには気づかれないように、自然な形で。それが、ウイルス耐性を操作するということではなかろうか。
機械文明を発達させるには、階層型組織が必要だった。それは確かだろう。それは支配被支配層の関係を堰堤とし、上位下達の組織メカニズムを用いざるを得なかった。大量の資金投入には国際金融資本も必要だったのだろう。で、人類は必要悪を抱えながらここまできた。
ここから先は、技術の発達は止められず、メタバースはいずれ第二地球みたいなものを作り出すだろう。で、それを運営するこの世の人間が邪悪であると、第二地球第三地球は悪の再生産みたいになっていく。それは宇宙の摂理に外れるのではないか。
これから生き残る人は、この世をよくしよう、という善意を自然な形で持っている人に限られていくのではないか。その選別の手段として、まあワクチンなども含めて、いろんなことが起きるんだろうなという視点はありうると思っている。