盤上のコマの操作法

我々がシムシティでもいいしメタバースでもいいけれど、仮想世界を手に入れたとする。そこに、自由意志を持つキャラクターを配置したとする。これが、自分が盤上のコマと呼んでいる存在だ。我々からみれば下位次元の存在である。

 

我々上位次元の操作者は、下位次元のコマと直接の言語コミュニケーションを行うことができない。あるいはなんらかの理由で禁じられているとする。

 

盤の上の社会の動きを操作しようとしたら、盤上のコマが自由意志でそれを行うように仕向けなければならない。その手法の一つとして、マンデラは存在する。これが自分の仮説である。そのほかに、天変地異を起こしてみたり、一種の偶然を演出してみたり、コマたちに気づかれないように流れを変える。コマ数(人口)の増減なども手法の一つではないか。そろそろ機械化、産業化をさせなければならないと言う局面に来たら人口を増やす。

 

これはあると思う。このような考え方に自分が真実味を感じるようになった背景には、まさにメタバースなど仮想世界を本当に作ってしまう技術を人類がいずれ手にするだろうと本当に思えるようになったからだ。どれだけの時間がかかるかはわからないが。

 

操作者にとってみれば、世界はデータだから、世界人類の記憶を一瞬にして全部入れ替えてしまうことなど簡単だろう。

 

歴史の書き換えということが話題になっている。マッドフラッドが隠蔽されているとか、タルタリアという気には無かったことにされているとか。これは、上位次元の操作者がデータを書き換えたということではなくて、同じ盤上のコマである支配層?が自分の都合の良いように歴史「書」を書き換えているという告発であって、異次元からのデータ操作とは別物なのではないかと思っている。

 

話は変わるが悟りという言葉がある。禅宗などで使われる。ある僧は悟った。悟った後に世界を見ると、以前と変わらなかった、という話が印象に残っている。自分は、この悟りというのは世界はデータだと気づくことではないかと疑っている。色即是空。このことは、百万言を費やしても他人には伝えられない。まさに悟か悟らないか、二つに一つでしかない。だからお経はあんなに長いし、訳がわからないのだ。

 

禅では、その悟りに向けてさまざまな問いかけをする(公案)が、どれも普通の常識で考えたらめちゃくちゃな問いばかりである。両手をポンと合わせれば音がする、では片手では?とかいう。片手でも壁を叩けば音は出せるとかトンチで答えてもダメである。この世はデータだ、幻だというところには行きつかない。で、行き着いたからといって、その解を他人に伝えることはほぼ不可能なのである。