自分が、三浦半島から見て富士山や房総半島が迫ってきたなと感じたのは今月。同じ場所で昨年12月、つまり1ヶ月前に見た時と比べての印象だった。だから、地球のフラット化は2021年12月から2022年1月の間のどこかで起こったのだろうなと思っていた。
しかしネットで同様の事象を調べていると、昨年の春に同じことを書いている人がいる。横浜から見える富士山が大きくなったというのである。これは写真付きで、確かにデカくなっている。でも昨年の春である。
なるほどねえ。
自分より半年以上早い。ということは、自分が見た富士山の競り上がりは、昨年春に続いて2度目なのだろうか?と思ってみるとそうでもない。写真に映り込んだ富士山はもうすでに十分に迫り上がっている。
ということは、この人にとっての世界線の移動は昨年春だったのかな。自分の場合はこの1ヶ月の間の何処かだった。それで今、同じ世界線にいる、と。
面白いよなあ。個人個人によって生きている世界線が違うし、それが混じったり、たぶん離れたりもするんだろう。
こういうことを経験すると、世界線てなんだろう、ということに思いが及ぶ。一人一人違うなら、それは脳内にあるのではなかろうか??
世界はデータだからね。どこにあってもおかしくない。自分の外部環境だと思っているこの世界が実は自分の脳内にある。それは、同じデータがあるということだ。
ひょっとして、脳内にあるものなら自分で操作もできるのかもしれない。願いは実現するとか、心配も実現するとか?よく言うしね。
今世界はあれているけれども、それは盤上のコマである我々の頭の中が荒れていることの反映かもしれない。
平和で穏やかな世界を念じれば、念じる人が増えれば、世界線はその方向にいくのではないか。こんなことを考えるのは、マンデラは明らかにシグナルだと思うからだ。誰かが間接的に我々を操作している。操作していないはずはない。