パンツを捨てるサル

産業革命の後で人口が増えたのではない、その逆だ。人口が増えたから産業革命が起きた。これは歴史的事実。

 

人口が増えるのは出生数の増加ではなく死亡率の低下が原因で、当時の脂肪は乳幼児が多かった。原因は普通の風邪であり突き詰めればウイルスだ。それが変化したということはウイルスの威力が低下したか、ヒトがウイルスへの対抗力をつけたか、あるいはその両方だ。

 

ヒトの体は普遍ではなく、ウイルスへの対抗力をつけるなど、病を経験して変化することがある。仮に植物が光合成の機能を病で失えばエネルギーを自分で動いて採取しなければならない。このために動物が生まれたとウイルス進化論はいう。生物の歴史はある種の機能大体の歴史で、それは進化というより補完能力の獲得の歴史とも言える。

 

病気で一部機能を失いながらも形態を変えてまで生きようとする意思が生まれる原動力は快感にある。動物にとっては獲物を捕まえて食うことが快感だ。

 

人間には独自の快感システムがある。そのメカニズムは視床下部にありA10神経ドーパミンが作用することで発現する。快感の対象は無数にあるが集団的暴力もどうやらその一つで文化大革命カンボジアポルポト政権による大虐殺はイヤイヤやったものではなく快感セットシステムの発動だろう。過剰に生産しそれを蕩尽するという作業が快感をもたらすことも研究されている。

 

そして今、人口が過剰になった。この過剰を蕩尽することは上記のメカニズムから言ってヒトに快感をもたらすはずである。ジョルジュ・バタイユはこのことを察知し、集団的殺戮によって人類が滅亡する危険性を示唆していたという。

 

著者の栗本は言う。何も集団的殺戮だけが過剰となった人類に快感をもたらす手段ではないだろう。他にも選択肢はあるはずだ。それを考え出し、そちらを選択するということは人類自身でやらなければならない。ヒトは、史上初めて、自らの将来を自分たち自身で選択すると言う岐路に立つ。それが21世紀だ、と。

 

非常に深い、恐ろしい、そして面白い論考であり現代の様相を見事に説明している。

 

自分は知っている。人体は変化している。それは長寿化だ。これも極めて不思議な現象で、病との関係で説明できるかもしれない。そして、少なく産んで長く生きるという快感もあるはずなのである