20240221 いやな話

なんか啓示とかこないかな、などと軽率に書いたのが良くなかったのでしょう。思いもしない概念が、いきなり私の頭に浮かんでしまいました。時事的なネタを扱わないで数日、悶々と心理的な方面で考えを巡らせていたのがいけなかったのかもしれません。

 

それは何かというと「神は(少なくとも現世においては)弱いものの味方ではない」というもの。こんなこと、考えたことはありませんでした。

 

英国はインドを植民地として、自国の綿産業を保護するためインドの綿織物産業に従事する人々が働けなくなるよう、彼らの両手首を切り落としていったと言います。その結果、インドの綿織物は壊滅し英国産が世界を制覇しました。

 

戦国時代の日本では合戦に農民が駆り出され、勝利した陣営は負けた軍に参加した農民たちを売り飛ばし(ポルトガル人が奴隷として購入し東南アジアに転売したとのこと)、その資産を略奪して栄えたと言います。これは原田伊織さんが繰り返し書いている。

 

日米政府あるいは国連は、国際社会における法の支配を強調しますが、いくら法律があったって、守らない国はある。それを守らせる軍事力がなければ、法は単なる文章に過ぎません。

 

これって、実は生物界を貫徹する摂理なのではないでしょうか。肉食動物は草食動物を食らう。これは、もう止めることはできません。神が弱いものを助ける存在であれば、肉食動物は存在し得ないでしょう。同じことが、人間世界にも実はあって、神が弱いものを助ける存在であれば、悪い奴が暴力で支配する構造はもっとずっと前に無くなってておかしくないけど延々と続いていて、これからも改まる気配はまあないじゃないですか。

 

弱いというのは、戦ったら負けるということです。戦ったら負けるというのは、力が弱い、相対的に暴力において劣後するということと理解されます。現世においては動物界も人間界も暴力が支配している。みんな仲良く暮らそう、強いものは弱いものを助けよう、という世界もないわけではないが、いざとなればそれは綺麗事に終わることが多い。そういう真実というか実相を、例えば私は綺麗事を望むが故にうっかり無視してしまう。

 

救いがあるとすれば、だからと言って弱いものが滅びるわけでもなく、強いものと弱いものが併存し続ける、という事実もまたあるということでしょうか。草食動物が全滅したら肉食動物は食糧がなくなる。そういう形で実は共存関係ができている。人間界も被支配層がいなくなったら支配層は存在できなくなる。ここにも共存関係が実はある。クローバリストとかカバルとか呼ばれる連中は世界人口は多すぎるとよく言いますが、これは実は支配層の人数に対して被支配層が多すぎることへの恐怖かもしれません。被支配層を全滅させようという発想ではないと思います。

 

竹下元首相は米国債を売ろうとして、米軍機でアラスカに連れていかれ、全裸で逆さ吊りにされて氷の海に浸けられた挙句、睾丸を破砕されて絶命したのだとまことしやかに語る動画を見ました。嘘かもしれません。でも帝国の支配は結局最後のところ、属国支配層への暴力とそれに起因する恐怖心を拠り所に行われているというイメージには整合する話です。

 

こういう啓示?が来るとは思わなかったな。いやな話で申し訳ないです。