20240220 ひらめきの来し方

トランプは昨年9月に、あと5ヶ月でひっくり返すぞとスピーチしたそうです。となればこの2月には大きな変革があって良さそうなものですけど、「遅れて」いるのかもしれません。そうこうしているうちにプーチンもナワリヌイ死亡で評判に若干の翳りが出てきました。習近平は最近、話題に出ませんね。日本は相変わらず裏金で大騒ぎですが、日本国内事情で自民党が倒れることは多分ないな、本国が倒れる時が総督府自民党政権の最後だからなと自分は思って見ています。

 

ところで、自分の思考は誰の思考なんだろうと。そんなことでここ数日、勉強したり書いたりしてきました。変でしょ。自分の思考は自分の思考に決まってるじゃないかと言われるかもしれませんがちょっと待ってください。

 

コロナ怖いぞと言われた時に、コロナ怖いと思った自分の思考は自分の思考だったのでしょうか。ワクチン効くぞと言われた時に、ワクチン効くぞと思った自分の思考は自分の思考だったのでしょうか。ロシア酷いぞと言われた時にロシア許すまじウクライナ可哀想と考えた自分の思考は自分の思考だったのでしょうか。

 

私はそうは思えなくて、こんなに簡単に乗っ取られる「自分の思考」って何なのか。こんな乗っ取りに簡単にやられる人ばかりだったら大変なことになるぞ、そう思ったのはやっぱりこの2年間。自分だって怪しいものです。今、こうやって文章を書いている自分の思考も、誰かに巧妙に背乗りされている可能性が否定できません。だから、思考というか意識ですね、その本性、正体について、考えておかなくちゃいけない、健全に疑うというか、意識的でいないといけないと思ってあれこれ考えたり書いたりしてるわけです。

 

昨日でしたっけ、宇宙意識みたいなものがあってそこに個人がアクセスすることもできるとか書きましたが、それってアカシックレコードでしょとなりますね。そうかもしれないけど、今ふうにいうならクラウドかな。そこには知というか、言葉では表せないような「アレ(岡田監督風)」が集まっている。例えばユーミンは深夜に一人でじーっと瞑想して、メロディーが降りてくるのを待つらしいけど、そういう旋律みたいなものも含めて「アレ」なんです。アレは、文章とは限らない。イメージだったり、旋律だったり、明暗だったり、色だったりするんじゃないでしょうか。「知」というか「智」というか。そういえば人智学ってありますね。あれもいいところまで行った感じするけど、もうちょっと純粋にやればよかったのかもしれませんね。

 

私の個人的な感覚で言うと、個体内で積み重ねた知見で回せる部分がある。自転車に乗れるようになったら自然に乗れる。これに「アレ」は必要ない。ルーティンになってます。これが一番小さな智。一人で行き詰まった時に、他人と会話したり専門外の情報に触れたりして閃くことがある。いい言葉ありませんが創発とか言いますね。これが2番目に小さな智。そう言うレベルを超越して、天から「アレ」が降りてくる。これを何と呼ぼうか。大袈裟かもだけど天啓としましょうか。小さい順にルーティン、創発、そして啓示。

 

まだまだあるかもしれません。が、今のところ、発想の根源には、この三つはある気がしています。私も数回アレが「降りて」きましたけど、たいてい、周囲の人には理解されないで、頭がおかしいと思われる前に引っ込めたりします。けど一人だけ、認めてくれた先生がいて、ああこの人は懐が深いなあと感動しました。

 

ちなみにこのブログは「日記」と名づけたので1日1個書いてますけど、そうやって書くことをルーティンにするとその制約条件のもとで何となく、書くことが湧いて出てきます。多分、あれこれインプットしたものの中から、今日はこれね、みたいな感じで取り出してくる作用がルーティン化しているのでしょう。中身がルーティンになるのは嫌だなあとか思いますが。何か、啓示を受けて見たいです。瞑想とかしようかな。