注射は怖い。死んでしまうかもしれない。早く止めないと。そう考えることは今大事である。本当にそういう可能性はあると思う。周りの人にもそう言わないと。

 

そういう動きがあることを横目で意識しつつ、より引いて見たときに、これはプロセスではないかと思うこともある。

 

プロセスとは何かだが、なんだろう。気づきの、というか。

 

これまでは隠されていたもの、気付く人が少なかったものが多くの人の前に露わになってきている。これの意味するところである。

 

既に多くの個人サイトで、こうした流れが解説されている。気づきが広がっている、と。

 

これまで人類は、自分たちの置かれた立場について深く考えてこなかった。支配被支配の関係は巧妙に隠され、もっともらしい理屈を学習させられることで目を逸らされていた。戦争がなぜ起こるのか、民族はなぜ対立するのか、なぜ貧富の格差が広がるのか。

 

この1年で、段々と「彼ら」の手口がわかってきたわけだ。しかも「彼ら」は「私たち」の数が多すぎるというような理屈で容赦無く減らしにかかっている、という。このことを今、億人単位の人達が疑っている。もしくは反対している。その意念の集合量は莫大なエネルギーを生むだろう。

 

だから、「彼ら」はその手口を晒してこなかったのだ。知られてしまっては継続はできない。ああ、またか、と見破られてしまう。今は情報ほぼ全開である。これが、繰り返すがこの1年の大きな流れだ。手口をモロ見せしながらコトを進めるという。

 

自分は、これをプロセスではないかと思うと書いた。

 

世界線移動に向けてもプロセスということだ。

 

周囲の変化が突然起こるということでは、最大級のマンデラが待っていると言って良いと思う。ある日突然、「政府って何?そんなものがあったの?」「大統領って何?そんな人がいたの?」「お金って何?そんなもの使ってたの?」みたいな、過去も未来も一変した環境に放り込まれる可能性を感じる。

 

自分自身、心臓がいつの間にか胸の真ん中に来た体験がなければ、こんな荒唐無稽なことは考えなかっただろうけれども、今はちょっと違う。何でも起こりうる。そして世界はデータであり、波動だから、思考により変わりうるのだ。そうなると億人単位の思考が変わることのインパクトがどんな形で顕現するか、予想のしようもないのである。