20240124 ご飯は小さな大自然

土井善晴さんという料理の研究家の方がおられて、私は土井さんの書かれた本を参考に調理したりすることもありますが、このかたは単なるレシピ作者ではないみたいなんですよね。代表作と言われる「一汁一菜」の提案の本なんかもそうですけど、お料理を作るとはどういうことなのか、考えずにはいられない方だと思います。けっこう、根源的に考えたい気質だと感じます。私の好きな一文を少し引用してみますね。

 

ご飯や味噌汁は、「小さな大自然」である。料理し食事をすることは、自然と直接的に交わることに他ならない。私の中にミクロコスモスが入ってくることで、マクロコスモスとつながる。その連続性を感受することで、安心感が生まれる。「どんな食材を使おうかと考えることは、すでに台所の外に飛び出して、社会や大自然を思っていることにつながります」

 

ねえ。他の料理家から「マクロコスモス」なんて言葉は聞いたことがありません。その連続性を感受ってどういう意味だよ?と、訳のわからなくなった人は言うでしょうけど、なんとなく言いたいことは私はわかる気がします。それを受け止めると、料理とか食事とか言うものは、単に栄養を体内に取り込む作業ではないぞ、という展開にどうしてもなる。うるせえな、と感じる読者もいるでしょう。料理研究家であるとともに、読者を選ぶ作家でもありますね。

 

真田順子さんと言う方の「風景を作るごはん」という本もあります。これはいかにも学者らしく、三次元世界にとどまりながら、農村風景って結局私たちが何を飲むか食べるかによって変わってくるんだよね、と書いている。だから地域性が必ず出る。米を食べる人は棚田まで作る。ワイン飲まなきゃいられない人が多ければ葡萄畑が風景になる。そう考えるとウクライナの延々と続く穀倉地帯の風景は欧州人の莫大な小麦消費が作り上げたものなんでしょう。

 

これまで政治や世界情勢に振ってブログ書いてきましたが、ふと今日のお題が浮かんできました。いずれも、確たる信念や信条があって、それを主張するために文章化しているわけではありません。それは読んでいただいている皆様がお察しの通りです。ただただ、目の前で起きていることは一体なんなんだという疑問をメモして、自分なりの解釈を施し、時間を経たのちにそれが合っていたのか間違ってたのかとか考えてみたい。その繰り返しが修行だと思って筆名も修行者Aとか名乗りました。

 

無意識の働きは面白いもので、私の関心は社会と国際情勢(それとオカルト少し)にありますが、ふと違ったものが差し込んでくることがあって、それの一つが土井善晴さんの一汁一菜だったので、今日の内容となりました。この話は、多分、社会や国際情勢と繋がっていくんだろうと思います。かなり根の深いところで。

 

話はそれましたがトランプ劇場面白いですね。ニューハンプシャー州を制して2勝目というニュースがありましたが、この州では共和党の候補選びなのに無党派民主党員も投票してもいいっていう仕組みだそうじゃないですか。反則は5カウントまでというプロレスをヒントにしたのかな。悪役相手に危ない勝利を積み重ねて熱狂を生んでいくとかね。トランプ氏得票率51%とのことでした。適当なタイミングでバイデンが自ら消えていくかもしれません。