20230926 気分が大事

お年寄りと交流する機会がありました。85歳の元エンジニアは、秋接種を予約したと嬉しそうに語っていました。80歳の現役のお医者さんは、それは良かったですね、私はまだです。75歳の元会社役員は、私もこれからです、と。三人ともマスク着用。それって7回目ですよね?

 

なんで嬉しそうに7回目を打つのか、だんだんわかってきた気がする。安心したいんだな。安心したい。打つか打たないか自分で決めることができないのはもう大前提であって、誰かが「これで大丈夫!」と言ってくれる状況が欲しいんだと感じる。

 

時々ゴルフ練習場に行くけど、同じ時間帯に来るお婆さんがいる。小柄で元気そうな人だ。その人は、来ると必ず場内備え付けのウェットティッシュの箱から、何枚も何枚も取り出して、それを持って打席に入り、入念に機材を拭く。除菌でもしているつもりだと思う。

 

知り合いの奥さんで、極度の潔癖症の人がいる。汚い話だが、外でお手洗いに入った時には便器に座らない。座らないというより、便器に太ももを触れさせない。つまり、スクワットの沈んだ体勢(子供の頃は「電気椅子」とか言ってたな)で用を足すのだそうだ。誰が使ったかわからない便座になど座れるものか、と。その人は、電車で吊革に捕まる際には手持ちのウェットティッシュでよーく拭くのだそうだ。

 

普通のマスクの網目はウィルスの大きさをサッカーボールとすればからすればサッカーゴールくらいの大きさであって、要するに感染防止の意味はないのだという話はよく聞く。でも外を歩けば、一人で乗用車を運転している人がマスクしていたりする姿をよく見かけるではないか。

 

除菌とか抗菌に効果ありとウェットティッシュに書いてあれば、それで入念に吹いたらウィルスも無くなると思い、安心できるのだろう。そのような人に、人体は頭から足の裏まで、さらには腸内など内部まで雑菌だらけだという話は決して聞いてもらえない。事実が知りたいのではなくて、ただただ安心がしたいと欲しているからだ。安心させてくれない話はお断りである。

 

安心は、いろんな形で得ることができる。偉い人、権威がある人が「こうすれば安心です(例:ワクチンを何回も打てば安心です)」と言っているのを聞いたなら、それに従えば安心。テレビ出演者が「マスクしないと危険」と言えば、マスクをつけて安心。有名メーカーが「除菌の効果あり!」と宣伝するなら、そのウェットティッシュで拭けば安心。

 

「みんなやってる」ならこれまた安心。ワクチンも、「みんな打ってる」から安心なのだろう。「みんなワクチンで死んでる」なら、自分がワクチンで死んでもみんなと一緒だから安心なのではないか、この人たちは。それは言い過ぎだが、少なくとも諦めはつくのだろうと思う。

 

一方で、ワクチンは危ない、マスクは無意味だ、誰それはゴムマスクだ、クローンだ、影武者だ、イラクベトナムの通貨は爆上げだ、フリーエネルギーがすぐに登場する、みたいな「誰も信じない」話をすぐに受け入れて、これは選ばれた人だけが持ってる情報だ、大多数の人には理解できまい、と言って悦に入る少数派もいる。

 

でき得れば、私はその中庸を行きたい。