議論なく収斂

2020年の春から夏くらいにかけてのことを思い出した。コロナの正体について誰も良くわかっていなかった頃で、なぜ日本の感染率は低いのか、BCG接種した民族だからか、ロックダウンは効果があるのか、マスクは必要か等々、結構真剣に議論があった記憶がある。

 

実効再生産数なんて難しい言葉がテレビでも使われ、一般視聴者も理解していた。クラスターとかスーパースプレッダーなんて言葉も使われた。感染者の行動経路も詳しく追われていた。

 

あの時の方が、真剣さがあったと思う。社会の隅々まで。この感染症は何なんだ、何を気をつければ良いのだ、どんな政策が効果的なのだ、などを考えていた。

 

急にこの雰囲気が劣化したのはやっぱりワクチンが出てきてからだろうな。一気に救世主が出てきたということになり、ワクチンを打つか打たないかに議論が収斂していった。2020年から2021年に変わる頃だろうか。

 

それでもいざとなるとロックダウンやるぞという脅しは続いている。外国でもそうのようだ。効果があるのかないのか検証はされていない。

 

しかし今の議論はワクチンを打たない危ない連中は行動をさせるなという方向に来ている。ワクチンは効くのだ、特効薬なのだ救世主なのだということが前提になってしまった、いつの間にか。

 

こういう議論って、必ずしも議論じゃないというか、議論した覚えがない。議論を見た覚えもない。いつの間にか、みんなそういうドグマを受け入れて、それを前提に話を進めている。

 

そんな中で、今でもウイルスは存在しないとかワクチンは危ないぞと一定の事実に基づいて話をする人たちがいる。2021年の10月ごろまでは少数派だった。11月くらいに国民の7割、8割がワクチンを打ったとなり、その中から具合の悪い人や亡くなる人が出てきて、ちょっと全体的に疑念が出てきているのが今の状況だろう。

 

10月までの流れは、今考えると恐ろしいものだ。議論した覚えがないのに議論が収斂していくという。これは、個人の力ではどうしようもないのかも知れないが、そういうことも起こりうると肝に銘じておくべき事柄だ。