共生

ワクチンは打つ人打たない人を分断する効果があった。

 

自分は打たない派だが、ここで「派」という字を使って別に違和感がないくらい分断されている。だって勤め先でそうと言えないもの。9割が打ってるし。

 

打つ派は危ないじゃないか、なんで打たないんだと言う。わくちんを打てば怖いコロナの感染から逃れられる、罹っても重篤にはならないという前提で話をしてくる。加えて、みんなが打っているのに自分達だけが打たないのはおかしいという理屈がついてくる。で、大体は弁明を聞かない。決まったことだから従えという高圧的な態度も見られる。打たない派はこの辺りでうんざりする。

 

打たない派は、まあ色々いるけど自分は薬害の実例を見てきたから薬には気をつけろと基本的に思っているし、今回はなんか怪しいぞという直観が出発点だった。ちょっと調べると開発期間は半年くらい、治験も満足にやってない、モデルナ社は設立10年のベンチャーで、今まで薬を市場に出した実績がないということもすぐ分かった。ファイザーアストラゼネカもジョンソンアンドジョンソンも薬害を起こした実績がある。たくさんある。厚生労働省のホームページでワクチンの資料を見ると効能書の左上に大きく「劇薬」書いてある。もうこれで十分だった。打つのは危ない。そう思った。でも世の中の動きは違った。

 

コロナが大した病気じゃないということは事態の推移を見ていればなんとなくわかることだった。2類にこだわる政府の姿勢もなんとなく怪しかった。大切な人のためにという宣伝文句もいつもの政府らしくない。テレビ新聞に出てくる推進派の医者たちもなんとなく人相がよくないなと感じた。こういうことが意外に判断に影響する。推進派の変な医者たちが次々に国の関係で出世していく様子(一流国立大学の教授になったり)も疑念を増大する要素になった。

 

で、まあ分断もしょうがないかと思っていたのだが打った人たちが打たなければよかったと思い始めているようで、今は微妙な時間が流れている。

 

圧を感じなくなってきた。

 

打たない派はネット上で打った人たちを羊とか目覚めていないとか自分の頭で考えない人たちとか蔑むような言い方をしていたが、それも少なくなってきた。来るところまで来たのだと思う。大変なことになったと両方とも改めて呆然としているのだ。

 

打った人たちはデトックスしているが助からない人が大勢出るだろう。打たなかった人も、今は逃げ延びたと安心しているかもしれないが2年後にはほとんど人がいない日本に取り残されるかもしれないのだ。もう協力しあって次の時代を考えるしかないだろう、という段階になりつつあると思う。