コロナ禍の気分

朝の散歩をしてきたが、朝帰りの酔客が駅に溢れていた。これはもう、9月からそうだった。

 

死亡者事例の多い60代以上は知らないが、少なくとも40代以下の都市住民にコロナへの恐怖心はほとんどないと想像する。それは、年間数千万人が罹患し1万人以上が死亡する従来のインフルエンザを私たちがそんなに恐怖しないのと同様だと思う。

 

これはもう、ダイヤモンドプリンセスの時からそうだった。政府だってGoToとか普通に推進していたではないか。政治家もパーティやってたりしたでしょ。それが去年の3月でしたっけ、学校閉鎖を前々首相が言い出したあたりから「あ、これは怖がらなくてはいけない病気なのね」というふうに考える流れが作られた。マスク警察も出てきた。

 

でも駅前を毎日早朝散歩している自分は、そんな中でも明け方まで空いている飲み屋はあったし、朝帰りの酔客は常にいた。少ない数ではなかったよ。

 

そういう世界だけを見てモノを言ってはいけないかもしれないが、自分にも共有できる雰囲気がそこにはあった。マスクしてないと色々言われてうるさいからとりあえず人前ではしておくか。コロナ怖くないというと顰蹙だから怖いという声はそのまま通しておこう。ワクチン打て打てうるさいからとりあえず打っとくか。要するに、色々言ってくる連中がめんどくさいのである。

 

コロナ怖いと思っている人は実は少ない。マスクしなきゃと自分で考えてマスクしている人は実は少ない。ワクチン打てばコロナにかからずに済むから打たなくちゃと自分で考えて打つ人は実は少ない。

 

だからある日突然、政府とメディアが「今日から大丈夫になりました。マスクしなくていいですワクチン打たなくていいです」と発表したら大多数の人はあっさり従うという光景を自分は予想している。心配しなくて良くなった根拠を示せとか、マスクを外して罹患したら政府は責任を取るのかとか、騒ぐ人は出てくるだろうが大多数の人はそういう騒ぐ人にも興味がない。

 

やっぱりマスクしないと呼吸が楽だね、ワクチン打ち続けなくて良くなってホッとしたねとか言いながら元の日常生活に戻っていくだろう。

 

コロナ禍の気分てそんなもんだろうと思う。少なくとも自分はそうだ。これが国際的謀略だという説もあるが、だとすればこっちは幸せに日々暮らしているのに自分たちのどういう都合か知らないがめんどくさいこと仕掛けやがって、と結構ムカつく。

 

仕事でも遊びでもマンション管理でも(!?)めんどくさいこと言い出す人間ている。そういうめんどくさいことを言い出したり、後に引かず面倒な主張や行動を続けたがる頑固な変人さえいなければこの世はどれほど暮らしやすいかと思う。自分たちにとってコロナ禍って、そんなものの一つに見える。