ないものとして扱う

立憲民主党の代表争いの中でも、コロナが大した病気ではない、あるいは無さそうだという発言は聞かれない。ワクチンは危険なようだとか危険だとかいう発言も聞かれない。

 

10月末の総選挙でもそうだった。新内閣になってもそうだ。あれはおかしい、見直そうではないかという発言はただの1回も聞こえてこない。そういう論点もあるぞというマスコミの指摘も見たことがない。

 

ネット上は違う。ワクチンで具合が悪くなった人の話が山のように出てきている。ワクチンの液体の中身を顕微鏡でいたら虫がいたとか、分析してみたら怪しい物質がたくさん入っていたとか、不妊になったとか変な赤ん坊が生まれたとかいう話でごった返している。強制摂取に反対するデモが外国でもう暴動寸前の勢いで行われているという情報もネット上にはあるが表のマスコミでは先日わずかに毎日新聞が扱ったという話があるくらいだ。

 

情報の分断はものすごいレベルで起きている。どちらが正しいという議論はたぶん無益というかお互いに譲らないだろうが、気になるのはネット上に違う情報があるということにみんな気づいていないのか気づかないふりをしているのか、表の動きは全てコロナは存在する恐怖でありワクチンは切り札だという前提(ドグマ)に基づいて進められているということだ。

 

不思議である。

 

自分の周囲でも、そうとうに優秀と思っていた人があっさりドグマを受け入れている。良いワクチンが短期間でできて、これは科学技術の勝利だみたいなことを偉い理系の先生があちこちで発言している。

 

ネットなんか見ないんだろうな。

 

情報は然るべきところに載っているものを信用して使うという主義なんだろうな。

 

しかしその感覚は間違っている。真実に近いものは、最初は口コミである。面白そうなものは三流週刊誌が載せる。変な話題とごた混ぜにである。その後、夕刊紙、タブロイド紙が扱う。権威ある?三大紙とか四大紙とかいう新聞が載せるのは遥か後だ。大新聞は、遅い。ならば普段、大新聞は何を書いているかというと大本営発表だろう。責任を負わなくて良い、然るべきソースからの記事を安心して載せるのが大メディアというものだ。

 

その然るべきソースの一つは日本政府だと思うが、日本政府が真実を語らないときに大新聞が真実を載せることはないと、普通は考え及ぶと思うのだがそうはなってないな。