気になる明日(米国時間。日本時間では明後日らしい)の日食ですが、ここにきて急に、取り上げてくれるネット投稿が増えましたね。全部を見る時間も気持ちの余裕も私にはありませんが、ざっと見た中でへーえと思ったのは例によって笹原俊さんのXの転載投稿で、米国FOXテレビのニュース切り取りなんですが、月曜日に北東部で大地震があるよと。予想というか予告なのでスカね。震源地はニュージャージー州とされています。テレビニュースでっていうところが興味を引きました。そういえば、昨日でしたか、ニューヨーク市で140年ぶりにM5級の地震が起きたと騒がれました。余震もけっこう多いようです。地震ね。ないことを祈ります。
ところで今、新年度が始まって歓迎会が盛んに行われている時期です。私もすでに複数出席しましたが、初めて話す人もいて、面白い話をいくつか聞きました。
そのうちの一つ、この方は女性なんですが、元々専門学校の講師みたいなことをやっていて、できればちゃんとした学校(学校法で定める学校という意味らしい)に転職したいと考え、ようやく内定をもらったと思ったらリーマンショックで採用は凍結と言われ、すでに前職の方には辞表を出してしまっていたので一気に無職になってしまった時期があったと。それで慌てて再就職先を探し始めたら偶然、できたばかりのある団体が職員を募集していて、なんとか滑り込んだ。そうしたらその団体が成長して、10数年経過した今、社会的にかなり重要な活動をするところにまで成長したその団体の中核メンバーとして思い切り活躍しているようなんです。
話を聞いているこちら側としては、これはもう、その方が今の職につくように運命の糸というか、シナリオができていたようにしか思えませんでした。人生は基本的に自助努力ということにされていますけど、縁とか運勢とか運命みたいなものって無いはずがなくて、その現れ方はさまざまだと思いますが、何か、思っても見なかった道に進んだが、ああ自分がやるべきことはこれだったのかと後から気づくような例が多くあるような気がします。
以上は一つの例ですが、その他の人との会話の中でも、ああ、この人はここに来る理由があってここにきているんだな、と思われる人が少なくありませんでした。私が新卒で就職した時のことを思い出すと、今、残っている同期社員は、やっぱり残るべくして残っているなという感じがします。もっと具体的に書けと言われても難しいのですが、辞めていった人たちは、当初から何処か場違いな感じがあったような気がする。
その延長線上で考えますと、私がこの親のもとに生まれ、この相手と夫婦になり、みたいなことも、何か理由があるのかもしれないかもと思われてきます。物事は全て決まっているんだよというのを決定論と言うそうですが、世の中も人生も半分くらいは決定論かもですね。
ただ、100%とは思えない。唐突ですがヒッグス粒子は波動を質量に変える力があると説明されます。だから想念は物質化現実化する可能性があるとも。と言うことは大きくは決定論かもしれないけれども自分の意思(繰り返しますがどこからどこまでが自分の意思なのかと言う問題はあるにせよ)で縁や運勢に働きかける部分は留保されているはずだと考えます。