20240103 造物主をイメージする

能登半島地震に続いて羽田空港で飛行機接触事故。年明けから大荒れの2024年ですが、私の頭は何か別の方向に行っているようで、意図していないのに、目の前で起きている事象とは全く関係のない妄想が次々に湧いてきます。この、想念というかなんというか、何なんでしょうね。よく「閃き」とかいう言葉が使われるけど、突然、来るでしょ。どこから来るんだろう。

 

で、何が来たかと言うと「ゾウリムシは人間にならないだろうなあ」という考え。突然来た。ゾウリムシは人間にはならない。これは進化論のことを言っているのだと思います。で、考えてみれば、自分には、進化とか突然変異、適者生存、環境適応等々、確認した経験はないんだよなと思い至ります。ただ、科学はそう言っていると学校で説明されたからそうなんだろうなということにしているだけで。つまりこれは、ワクチンは有効ですと医者に言われてそうなんだろうなと思っている人たちと同じことを自分もやっているという動かぬ証拠でしょうね。

 

進化論はまあ排除せずに認めておきましょう。それ以外に、この人間というものの存在起源を説明する物語として何があるか。色々あるみたいで、旧約聖書だと神が土を捏ねて自分に似せて作ったんだとしているようですね。ヒトは死ぬと土に還るしね。最近、土壌は内臓と一緒だぞと主張する書物がベストセラーになっている(土と内臓)のも気になります。

 

今この瞬間、2024年1月3日現在の直観で言えば、自分は、やはり造物主の存在を仮定するのが最も説得力がある考えだと思います。ていうか、元々そう思ってた節もあり。なぜなら、ホモサピエンスの誕生は20万年前と言いますが、ホメロスから現代まで3千年だから、それをたった70回繰り返したら人類誕生に行き着くわけですよね。これは、なかなか信じられないなあ。

 

まあいいや。どうせ自分の限られた知識だから正解に辿り着くはずもない。ここでは、今の私の悩みどころを記しておきましょう。同じことに悩んでいる人も多いと思います。

 

それは、神意はどのようにして知られるかということ。造物主の存在を前提にしますね。当然ながらその存在はヒト以外の万物も想像しているわけで、そこに何らかの意図があるのかないのか。あるでしょう。あるとすれば、その意図の通りに物事が進んでいくように計らうはずですよね。その結果が今の世界なのか、という点で謎は深まるわけですよ。神意の通りに進んできた世界がこの世だとすれば、なぜこうも悲惨なこと(ヒト同士の争い、地球の破壊)になっているのか。造物主は他のことで忙しかったのか。あるいは世界を作ったは良いものの、それを制御するのが難しいのか。魔法使いの弟子(ディズニー映画)みたいなことになってるのか。

 

この謎を解くカギは、人間の「意識」にあるのではないかという想念も来ました。ヒトは神意を仮に感じ取ったとしても、その通りに行動するかしないかを自ら考えて決めることができるという意味で、他の多くの生物とは異なる存在なのかなと思われます。そういう意味で、造物主にとっては扱いにくい存在かもしれない。造物主からみれば人間は鉄人28号みたいなもので、♩♩ある時は正義の味方、またある時は悪魔の手先、敵に渡すな大事なリモコン♩♩、というわけで悪い想念に基づいて操縦されればいくらでも悪いことをする存在が人間だ、という理解もできるかもしれない。

 

ヒトをその程度の存在だと仮置きすれば、そんなのが集まって多数決で物事を決めますという民主主義の限界も自ずと見えてきそうですね。とすれば、俗(ヒトの間での調整)と聖(神意の確認)の二元的な世界運営システムをとっていた古代や中世の人たちを現代人が馬鹿にすることもできないのではないか。

 

キリがないので今日はここまで。