今年もあと残すところ1週間弱。来週の今日は、正月二日だよ。
ということで、例年通り、身辺整理と大掃除。掃除はいつもやってるけど、大掃除というのは普段やらないところを対象にする。天井とか、窓のサッシ、網戸の汚れ。排水管(素人ができる範囲ですけど)、テレビの裏なんかも乾拭きする。
以前は日を決めて、いっせいのせい、で一気にやっていたけど、今年はまとまった時間も取れないのでコツコツと数日に分けてやることになりそうです。
で、まだやってないから書きづらいんだけども、掃除が終わった直後ってなぜか清々しい気持ちになりますよね。頑張った成果が如実に目に見えるところもいいけど、思うに、時間の経過とともに積み重なった汚れを取り除くという行為そのものが、何か自分の感性に喜びの感覚を与えるところがあるのだろうな、と。
生活していると、どうしてもいろんな汚れが溜まっていく。目に見えてわかりやすいのはフローリングの床にうっすらと積もっていく埃。静電気が作用するのか細かいクズみたいなものが全面に降り積もったようなPCモニタ画面。お手洗いだって、数日掃除しなければなんとなく黄ばんでくる。キッチンのシンクには水垢が張り付く。ガスコンロは焼き付けたような油の層が黒く重なっていく。
特に何かを汚そうと思っているわけではなくて、普通に、清潔を心がけていても、部屋は1年経ってみるとすごく汚れているのだということを大掃除の度びに感じます。
禅宗のお寺などでは、毎朝の廊下磨き(濡れ雑巾床に当てて端から端まで四つん這いで走り抜くイメージ)が修行とされているそうな。そう、その都度綺麗にしておけば年末の汚れはだいぶ少なるはずなんでしょう。でもお寺でも天井が高かったりして、そういう毎日綺麗にすることが難しいところは年末に一斉に掃除するみたいだよね。
いつも書いてる話に引き寄せて展開すれば、芸能界も政界も実業界も、今年はけっこうな大掃除が行われた感あり。あるいは、行われつつある感あり。
掃除すれば一旦はきれいになる。ああよかったなという感慨にも浸れる。でもさ、1年経つとまた汚れてるんだよ。大掃除は終わらないんだよ。毎年やらないと。政治や芸能は毎年というか、まあ、定期的にっていうことかな。大岡越前みたいに、裁いて終わり、一件落着、ていう世界とは違うと思う。また出てくるんじゃないでしょうか、汚れは。いつでも。