20230814 笑い

人はなぜ笑うのか。人はなぜ泣くのか。人はなぜ怒るのか。

 

自分はどちらかというと泣き上戸です。大のおとなは、涙を見せてはいけないと言われますけどテレビの下手するとドキュメンタリーで泣いてしまいます。特攻隊と残された家族とか。ドラマでは泣けなくなった。お芝居はつまらないなあと言うのが最近の感覚。

 

一方で、笑うことは滅多にありません。しょっちゅう笑っている人って、今、いるんでしょうか。そなりたいなあ。明るい人間になりたい。明るくなれる要素が少ないと感じながら生きているこの数年間。ワクチンとかあるでしょ。最近では異常気象ね。これも操作されてる説を少し信じている自分がいます。その連中さえ大人しくなれば、和やかにお盆を過ごせるのに。以前はそうだったのにと。

 

笑いたい。人はどうなれば笑えるのか。

 

ベルグソンだっけ、日常がずらされると補償機能として笑わざるを得ないとか言ってたのは。フランスってそんな感じなのかな。みんなマジでやってるけど実はこうだよね、とモリエールがお芝居を作れば、それを見た観客はそうだそうだ、そうは言えないなけど実はそうだ、と言って笑う。これって綾小路きみまろの路線かも。あるいはサラリーマン川柳の世界かも。みんな、真面目腐って高齢化社会だから認知症の予防が急務とか言いながら、実は「言ったことは忘れ、言おうとしたことも忘れ、忘れたことも忘れました」をギャグとして楽しんでいる。

 

これって、裸の王様と通じる部分があるんじゃないでしょうか。みんな、「これはこうだから」と言われて「これはこうなんだ」と信じて行動しているけれども心のどこかに「いや、これはこうだからと言われているが、どうも違うみたいだぞ」という部分が芽生えてくる。でも言えない。なぜなら、上がそう言うし、横もみんなそれを信じて従っているから。そう言う関係性って、お互いを縛り合うわけだから、きついでしょ。認知症予防のためにあれしなさい、これしなさい、あれやっちゃだめ、これやっちゃだめ。それがマジな世界。きつい。そんなとことに、「あー、忘れたことも忘れたわ」とか言われると、一気に緊張が緩んで、そうだよな、それがほんとだよな、それでいいじゃん、見たいな余裕感が生じて、初めて笑える?ベルグソンみたいな哲学者ではない私は、あー、これ間違ってたんだ(あるいは、騙されてたんだ)とわかった瞬間に、怒るか笑うかの分岐点が出てくるような気がする。

 

赤信号、みんなで渡れば怖くない。これは、赤信号では渡ってはいけない。でもできるだけ早く渡りたい。自分一人じゃいやだ。他に渡ってくれる人がいれば、一緒にルールを破るわけで、自分一人が責任を追求されることもなくなり、ありがたい、そんな心理。自分の都合でルール破りたいが一人責められるのは嫌だから仲間がいてくれれば嬉しいと言うのは、自分自身の赤裸々な内面を看破されつつそれは自分だけのセコさではなくみんなそう思っているよねと言うニュアンスで匿名性は保たれ、最終的にはルールがおかしいよなと言う方向にもいけそうで、無罪放免だから笑える、と言うような考察もしてみた。つまり、「笑い事」にできるかどうかは個人にとって大問題だと言うことだ。

 

ちなみに、お笑いの大御所と言われている松本ダウンタウンと言う人のYouTubeをいくつか見てみた。若い頃の「爆笑の返し」「腹筋崩壊」その他いろいろは、まあ見るべきものもないと思った、コメント欄も閉鎖っていうのか、書き込みができなくなっているから書き込まれたら困るんだろうなと察した。それ以外にも、今、MSMやネットでこの人面白いですよ、笑えます穂、と紹介されている人の動画なりをみて面白いなあ、笑えるなあ、と感じたことがない。これは、私が異常に暗いせいでしょうか。あるいは、この「面白い」と指名された人たちが、実はある勢力から「この人間が面白いと多くの人間に思わせるのだ」との作戦に乗せられているのか。

 

笑いの本質に関わる部分です。王様が裸だったら、それはやっぱり裸なんだから、裸だと思うのが自然でしょう。これが今面白いということになっているんだから、それを面白がらないあなたは時代遅れ、流行遅れだぞ、という脅しをかけてくるならば、それは、これあ今年の夏の流行ですよと冬ごろから仕掛けてくるアパレルのマーケティングと変わらない。お前は俺の笑いがわからないならレベルの低いやつだ、と言われても気にする必要はありません。それは新車販売と変わらない。あなたは時代遅れだよ、という脅しによる詐欺です。