20230731 祈りと呪い

今日は在宅勤務で仕事は半日分くらいしかないから、昼過ぎに楽器練習のためのスタジオを予約した。歩いていける距離だし、当日予約だと、部屋が空いていれば安いのである。ただしキャンセル料は100%取られる。

 

予約して、あっと気づいたのだが、今日はある重要な宅急便を受け取らなくてはいけない日だった。時間指定はしていない。まずいなーと思ったが私は慌てない。祈るのである。午後は予定を入れたんだから、宅急便は午前中に着いてくれ、着くはずだ、着くに違いない、着くに決まっている。昼前に受け取るイメージを画像化、動画化して脳内で反芻する。

 

そうすると、なんと12時5分前に宅急便が届くのである。驚かない。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけれど、今までこんなことは何回もあった。科学主義の人は、それなら配送の人に連絡して、何時に配達される予定か聞いてみろ、その上で調整しろと言うだろう。その意見は正しい。ただ自分は、運送会社に電話するとかいうことを考えた時点で面倒臭くなるほうなのだ。ならば強く念じる方が良い。ダメならまあ仕方がないんだけれども、この程度のことならまずダメになることはない。

 

そんなことで、他人から見れば、私はオカルトを信じていると思われるかもしれない。確か儒教は怪力乱神を語らずだから、世の中を統制するにはこのような考え方は邪魔なのだろう。一方で、私などよりも遥かにオカルトに傾斜している人が世の中にはたくさんいることも事実だ。

 

昭和の30年代くらいまでは、世の中のあちらこちらに霊感の強い人がいて、けっこう予測を当てていたようである。経済人で、このような怪しげな占い師に頼っていた人たちもいたことが記録に残っている。出口王仁三郎中村天風など、21世紀にいたとしてどういう扱いを受けるだろう。頭おかしいとか言われそうだ。1970年代以降なのかな、社会的にも経済的にも経営的にも科学的であることが優先されるようになり、それ以外の怪しげなものの考え方は段々と姿を消していった。オウム真理教の事件もそんな考え方に拍車をかけたのだが、私は知っている。麻原のもとに集ったのは決して騙されやすい馬鹿な男女ではなかった。日本の、ほとんど最優秀な頭脳の持ち主が含まれていた。その事実をしっかり見ないといけないと思っている。

 

思うとか念じるとか祈るとかいうことを人類は何千年もやってきた。決してそれをやめなかったのには理由があるのだと思う。つまり、何らかの効果というか作用はあるのだと考えた方が良い。それ以上のことはわからない。

 

宅急便の運ばれてくる時間をお願いするくらいなら、まだ罪はないよねと自分では思っているので、その程度のことはこれからもやっていくつもりだが、どうだろう。税金安くなれとか、戦争のリスク去れとか、そういうのも効くのだろうか。片方で、税金をもっと上げられないかとか、戦争したいぞという祈りの人々がいたとすれば、これはもう呪術大戦みたいになるんだろうな。

 

そういうのが今起きているんですよ、と説明するブログなんかもあるが、眉に唾をつけつつも、決して無視はできないという気持ちはある。