20230721 自灯明・法灯明

昔、先生から教えてもらった。

 

人生は色々迷うことがあるが、①自分を信じてその心に従う、②しかし世の中には普遍の法則があるからそれを曲げることはできない(それに従う)、がキモである。これをお釈迦様は自灯明法灯明と言ったんですよ、と。

 

20年経って、急にこの言葉を思い出した。

 

自分を信じるとはどういうことなのだろう。そもそも自分て何だ。何かを考えており、物事をやるとかやらないとか判断していることは事実としてある。そういうことをしている「自分」は確かにいる。しかし、信ずべき軸というか信じる先の自分ていうものがわからない。目の前に美味しいお酒が出てきました。飲み過ぎは健康に悪いです。この時、少量でやめとこうと考えるのも自分だし、今日だけはいいやとガンガン飲むことにするのも自分だ。どっちが自分なんだ。つまらない例で恐縮ですが、その判断をするときに、さてどうしようかと迷う自分と、その迷ってる自分がどうしますかどうしたらいいですかと問いかける先の自分と、二つあるとすれば、その問いかける先の自分を信じるというようなことなんだろうとは思うが。

 

ややこしいことをいくら考えても仕方がないと思いつつ、「直観」というものがそれかもしれないという感覚はある。

 

たとえばワクチンが出てきた。このとき「ちょっと待て、安全か?」と自分に警告する自分がいる人は薬害を免れた。これが直観だとすれば、それがある人とない人がいる、というよりもそれが機能する人としない人がいると考えたらどうだろう。左脳と右脳がバランスよく働く。訳のわからないものが目の前に出てきたときに、右脳がピピっと反応する。これが自灯明の一つの姿かもしれない。とすれば動物に近い感性を維持しているかかな。左脳が働きすぎると、一見しておかしなものでも論理でそれを正当化してしまうかもしれないから。

 

法灯明は自然の法則を言っているような気がする。あまり、社会のルールがこうなっているから守れという感じの言葉ではない。暴飲暴食を続ければ健康を害するとか、そんな話として理解できる。

 

政府が、コロナは危険だと発表したからコロナは危険なんだと今でもいう人がいる。右脳が働いてないな、働かせようとしていないな、ってことか。自分の直観でどう思いますか?とか聞いたら怒られそうだ。政府が、ワクチンは効きますよ、マスクは有効ですよ、と勧めるからワクチンは効くんだ、マスクも必要なんだという人がいる。今でもいる。直観を働かせようという意識はそこにはない。身体に異物を入れれば体は反応する。薬害も起こりうる。これは法灯明だろう。

 

自灯明、いま最も重要な概念かもしれない。