20230704 独立記念日に考える

ネットで見かけたコメントに「日本人がルールを守るのは真面目だからではない。自分の頭で考えることができないことに加えて、責任を取りたくないからだ」と言うのがあった。

 

共感するところがあるなあ。

 

自分の頭で考えない。これは本当にそうだと思う。日本人だけではないかもしれないけど。

 

「テレビが言ってるから」なんだよな。「新聞に書いてある」からなんだよ。

 

自分で考えて意見を言う人間は、とても面倒くさがられる。学校の中でもそうだし、企業の中でもそうだ。家庭の中でもそうかもしれない。どこへ行っても嫌われる、というか疎んじられる。

 

表面上は、自分で考えて自分の意見を述べることが奨励されている。しかしそこには条件があって、上位者の許容範囲内であれば、自由に意見を言って良いという暗黙のルールを破ってはいけない。

 

会社の社長は従業員の声を聞かなければならない、現場の意見を聞きたいなどと言って懇談会や飲み会を開いたりして自己満足に浸ることがある。その際に平社員が職場にはこのような無駄がある、若手の能力が中間管理職の無能によって引き出されていない、などの意見を言うことはOKである。が、資本主義はおかしいと思わないか、なぜ株主が取締役を選ぶ権利を持つのか、などと言い出したら面倒くさがられる。

 

さらに問題なのは、自分の意見を言ってはいけない、自分の意見を言う人間は面倒だ、と言うのは上位者の感覚ではなくて、日本人すべての中にある感覚だと言うことだ。

 

さらに、その感覚を共有するが故に、同じ道路を歩いている見ず知らずの人々は、自分が赤信号で渡ったりしたら何を思うかわかったものじゃない。だからクルマなんて全然きていないにも関わらず、赤信号で渡る人間だと思われたくないから青に変わるまで待つ。そう言う行動形態を取ることになる。

 

だから全員監視社会は別に防犯カメラが全国設置されなくたって、すでに日本では完成しているとも言えるのだ。

 

どうして、日本における「他人」とはこうも鬱陶しい存在なのだろうか。なんてことを考える必要は実はなくて、他人の目を気にしなくなった人から成功している。この事実は知るに値する。さらに言えば、実はみんなそれを知っている。でも自分はリスクを冒したくない。だから他人にも成功して欲しくない。自分の非力が明るみに出るから。だから他人を監視して、馬鹿馬鹿しいルールに従い続けることで、実生活で成功しないように見守っている。

 

そう、自分を含めて全員がバカなルールに従って自分の意見を言わないで、誰も成功しなければ、自分の無能さが知られることもない。これこそが日本人の正体ではないか。

 

独立とは対極にある人生観だと言えよう。