20230219 日本人が恐れているもの

自分と同居人一同は、外出する時にマスクをする。帰宅したらマスクを取る。家の中では誰もマスクをしない。

 

外を歩いている人たちは皆マスクをしている。でも数人の仲間でレストランに入って食事をしたり、居酒屋で飲み語り合う時にはマスクを外す。それが終わって帰路に着く時にはマスクを再びつける。

 

この行動原理は何なのか。

 

我々は、コロナをそんなに恐れていないことは明白だ。だって食事や飲み会の時だけ攻撃を緩めてくれるウイルスなんているわけないんだから。

 

なぜ食事の時にマスクを取っても平気なのか。

 

自分ごととして考えてみる。コロナは怖くないと知っている(ワクチンの方が怖い)。しかし外に出ると大多数の人がマスクしていることも知っている。その真っ只中で、マスクしないで歩くことの社会的な意味合いも大体わかっている。

 

俺は、みんながマスクしていたって、マスクしないんだぜ。そう宣言し続ける形になる。これが、精神的なプレッシャーを伴うこともわかる。

 

この重圧って何なんだ。みんな、それが怖くてマスクするわけでしょ。レストランで、居酒屋で、一緒に行った五人のうち四人がマスクを取ったとしよう。残りの一人が、いや私はウイルスが怖いのでと言ってマスクを取らなかったらどうなるか。ノリの悪いやつ、というふうにならないか。

 

ということは、マスクは衛生上の問題でなんか全然ない。これは社会生活の中で異端者を識別する一種の踏み絵なのだ。

 

日本人は踏み絵を踏まない。自分が何者であるか、自分が何かを考えているのかいないのか、それを外部から識別されることを隠すことに懸命だ。出る杭は打たれる。仮にマスクをしない人が全体の4割くらいになったとすれば、この踏み絵を踏まない人たちは内心混乱するだろう。

 

しかし彼らが踏み絵を踏まずに最後まで従順に社会秩序に従うフリを続けると思ってはいけない。一度食糧難の噂が広まれば、真っ先にスーパーで買い占めに走るのもまた多くの日本人の特徴だ。つまり、我々は、普段は足を引っ張られないように細心の注意を払って周囲に合わせている。そして、いざ集団内の競争だとなれば、他人のことなどどうでもいいのだ。自分さえ生き残ればいいという思考にさっと転換する。

 

結局、日本人は、平時においては異端扱いされて社会的メリットを得られなくなることを恐れ、戦時においては他人に先を越されて自分が取り残されることを恐れる(逆に自分が先手を取って生き残れるなら、後の人たちはどうなっても構わない)。

 

その程度の行動基準で生きている人たちが多数派であるとするなら、マスクはヨーイドンでしか外せないだろう。他の国はどうなんだろうね。