政府が国民がマスクを外す日程を検討しているという。あ、もう終わったのかな。どうでもいいからその後の経緯を追っていないけど。これおかしいし、深刻だよね。
マスクするのは感染を防ぐためだったはず。てかそれ以外の理由なんかあったっけ。
それが、デフォルトでマスク着用になり、素顔だと怒られたり店に入れてもらえないなどの不利益を被るようになり、渋々ながらの人も含めて街に出ればほぼ全員がマスクをつけているという国になった。
その頃から、人通りの少ない道を、すれ違う人もいないのにマスクつけて通っていたり、マスクしたままジョギングしたりという珍百景が続出していた。つまり、我々はマスクをつけ始めた途端に、何のためにマスクするのかを忘却してしまったというか、気にしなくなって、要はマスクをするというルールだけが確立してしまった感がある。
が、そのルールを厳格に守るのかと思いきや、飲食店に入ればやおらマスクをとって、酒は飲む、大声で喋る、笑い合う、歌う。散々盛り上がる。感染の脅威はどこに行った。で、お手洗いに行くために席を外す時にはマスクを再装着し、戻る時にはアルコールで手指の消毒をする。席に戻ったら、マスクを外してまた飲み、喋り、笑い、歌うのだ。
狂ってる。
もうこの時点で、マスクは単に最近の一つの風習に過ぎなくなっていることを全員が承知していながら、それを外せなくなっている。
こういう下地があるから、ただ選挙で選ばれただけの、何を勉強してきて何に詳しいのかも定かではない政治家たちがサミットの前がいいとか全く無関係の要素でマスクを外す日取りを検討しているおかしさを、新聞テレビ雑誌含めて誰も非難したり嘲笑したりしない。
とはいえ自分も、外に出ればマスクをします。飲み会の時は外します。飲み会を終わって帰る時には、そこが個室であれば個室を出るときにマスク再装着します。なぜか。面倒臭いから。あれこれ言われたり変な視線を投げかけられたりすることが。保身ですね。
日本人にとって、マスクは感染予防でもなんでもない。それは社会性の検査であり、従順さの指標であり、その意味では従前の革靴とかネクタイと全く変わりない。就活スーツみたいなもんだ。だから外せないんだよな。全員スーツで出社してるところに、Tシャツ Gパン スニーカーでは入っていけないでしょ。就職説明会にジャージじゃ出られないでしょ。
日本人は、根本的なところで、マスクをそう捉えていると思う。だから、海外から見たら変だというけれども、日本人である自分は、そう簡単には馬鹿にできないんだ。でも外そうかな。