20221215 打たない人はどこが違うのか3

恐ろしい疫病が起きていると伝えるテレビの動画を見て恐怖し、救世主としてのワクチンができたとの情報に歓喜し、打て打てと勧める政治家や医者、行政機関やテレビタレントの言葉を疑うことなくいそいそと接種会場に向かう。接種けんが届くと、これは打たなきゃいけないんだなと受け止めて疑うことなく接種会場に向かう。これが接種者のパターンで、日本人の9割がこういう人たちらしい。

 

自分の感覚からすると、これらの行動はいろいろ問題がある。正常な感覚であれば、こうなるはずだ。

 

・薬は怖いものであり、滅多なことで体内に異物を入れてはいけない。

・特に、新しくできた薬には細心の注意を払う必要がある。可能な限り内容を確認すべき。

・初物に飛び付いてはいけない。他人がそれでどうなるかを見てからでも遅くはない。

・ワクチンを打ってもインフルエンザにかかった人はいっぱいいた。

・政治家や医者がこれまで国民のために何かしてくれたことがあっただろうか。

・マスクしろとかワクチン打てとか、他人に強制するのはおかしい。品がない。

・コロナが流行って普通のインフル患者が激減したのはなぜだろう。

・外国ではかなり強制的に打たせているらしいがそれっておかしくないか?

・打たなければ辞めてもらうとか、やりすぎではないか?

 

つまり、いくら社会的に、大規模に、権威ある人たちの主導によって、疑いの余地がないくらいの正義を振り翳して勧められている事象に対しても、「ちょっと待て、これおかしくないか?」と感じる力が発動されることこそ「正常な感覚」ではないかと自分は思うのだ。

 

しかし困ったことに、この正常な感覚を持った人たちは、社会秩序の枠組みの中ではノイズになってしまう。枠組みを疑わずに受け入れ、その中で能力を発揮してくれる人が登用される。こういうメカニズムは必ずある。

 

とすれば、高い教育を受け、企業や大学や病院の中で有能と評価され、枢要な地位についていく人たちは危ないのだ。システムを疑うことをしない方が、能力が発揮できるのだから。逆に言えばシステムを前提として能力を発揮する人たちだから。システムを疑うことは自らのよって立つ基盤を否定することに繋がりかねない。それは、頭の良い人がすることではない。

 

ちょっと待て、と言い出すのは、必ず冴えない人たちである理由がこれだ。ネットで声をあげている良心的な医師や活動家たちは、みんな冴えない。地位もない。ただ、彼らは正常な感覚を大事にしているんではないかと思う。そういう意味では偉い人たちだ。行動もしてるし。