20230206 世はプロレスだと知る3

ところが、世はプロレスだというと怒る人がいる。それも、意外に多いのである。

 

プロレスの好きな人は、世間的には一段低く見られることがある。あれは筋書きがあるんだろ?あんなものを見て何が楽しいんだ。それよりも真剣勝負であるプロボクシングやオリンピックの方が価値があるんだ。そう考えている人がたくさんいる。というか、それが世間の普通のものの見方だと言っていいだろう。

 

なぜかお芝居や映画に関しては同じ議論にならない。あれは筋書きがあるんだろ?そんなものを見て何が楽しいのか。そんなことを芝居付き、映画好きに言おうものなら無粋の極みである。

 

世間一般の人の感覚とは、だから「筋書きがある」と認めた上でのことであれば許すというものなのだ。筋書きがあるのに隠している、は許してもらえない。この倫理観て何なんだろう。プロレスは、筋書きがあるのかないのかわからないし、時に筋書き通り物事が進行しないハプニング的要素もあるという点が楽しいと、ファンは思っている。懐が深いではないか。

 

一般人は、筋書きがあるのかないのか、最初からはっきりせい!と言ってくる。狭量な人たちだなぁとは思わないか。

 

これはなんだろうな、センスかな。狭量な人は、スペックが満たされないと怒るのである。多分、いきなりステーキで150グラムを頼んだ時、出てきたのが145グラムだったら怒るんだろうな。いちいち測らないだろうけど。

 

この「マジ」な部分が弱点だと思う。詐欺師に突っつかれるポイントになると思う。なぜなら、見巧者のプロレスファンなら信じてもらえないかもしれないものを、「実はこれは真剣勝負です」と言って信じさせることが容易なのは、むしろこうした狭量な人たちであることは疑いないからだ。視野が狭い、スレてない、ある意味でナイーブな人たちが詐欺に遭う。

 

詐欺にあった後の態度にも違いが出る。見巧者のプロレスファンは、あーうまく騙されちゃったよ、てなもんである。それほど大きな精神的ダメージを受けない。冷笑的な一面を持ちながら、実は騙し合いを楽しむ余裕も持っているのだ。しかしナイーブな真剣勝負至上主義者たちは、よくも騙してくれたなと怒り出す。詐欺師が憎らしくてたまらなくなる。

 

世の中には全て裏があり、全てがプロレスであると知ることは自分の精神を守ることにつながる。パニックからも救うだろう。こんなに簡単なことが、実際にはとても難しい。みんなプロレスを見ろ。そして気づけ。自分が興行師だったらどう考えるか。そこに真実がある。