ワクチン打て打てとワクチン大臣新旧二人が動画を配信している。ワクチンをどんどん打たせないと政権が持たない、という首相発言?はフェイクニュースかもしれないがシグナルだと思う。政権は誰に持たせてもらっているのか、それは国民ではないんだな、ということが伝わってくる。

 

ある意味で政治家も大臣も可哀想ではある。上り詰めても誰かのいうことを聞かないと潰される、そんなポジションなんだな。その代わり、いうことを聞いていれば好き放題がやれるのだなということも前々政権(長期)を思い返せばよくわかる。そういう裏の誰かの存在がここまであからさまになってきたのは初めてではないか。

 

ワクチン接種は慎重に、と主張する政党はない。日本共産党は1日100万回接種するというがその具体像を明らかにせよと与党に迫っている。確実にやれ、ということだ。

 

コロナの存在とワクチンの有効性について政党間の意見の違いはない。この点についての論争は起きない。たまーに、変わった議員が「いいのか?」と言い出すがすぐに消される。奈良県知事も今後どうなるか。

 

だからコロナとワクチンをリトマス試験紙とすれば、対立しているのは「国民の一部」と「政治経済の全体+国民の大部分」なんだろう。国民の大部分がコロナは怖い、ワクチンは効くと信じていれば政党はそれに乗るしかない。ていうかお互いに支え合っているような状態だ。政党とメデイアが煽るから国民の大部分が疑いを持たずに打つ。

 

この構図は、社会主義共産主義全体主義の歴史を見えれば同じものだとわかる。旧ソ連、今で言えば北朝鮮大本営発表に大部分の国民が従い、一部の異論は封殺され異端視される。健全な議論、事実に基づく議論は行われない。

 

でもまあそんなもんだろう。会社に勤めていれば、会社が決めたことには従うことになる。嫌ならやめればいいだけだ。国の場合、この「やめる」が面倒だし、別の国に行ってもグローバリズムが追いかけてきてワクチン打てというから面倒だけどなんとかしなくちゃいけないということになる。面倒だよなぁ。

 

旧ソ連も崩壊した。ナチスドイツも崩壊した。圧迫される少数派、健全な議論がしたい派が勝つことだってある。勝つだろう、普通。打たないし。

 

だって向こうはすごい焦ってるし。崖っぷちなんだと思うよ。