神は細部に宿る。

 

例えば自分がテレビ局や新聞社の人間で、ワクチンは危険だ、ワクチンで亡くなった人がいる、これを記事にして世論に訴えようと考え、そういう番組を作ったり記事を書いたりしたとする。それはありうることだと思う。でもその個人の行動はどうも決して表に出ることなく終わる。

 

例えば自分が京王電鉄職員で、エキストラを使った偽の事件報道を目にしたとする。あれは偽ですよと外に対して言おうと思えば言える人はいるのだろうが決して表には出てこない。

 

例えば世に知られる王族や国家元首が別人だとする。その周りでお世話をしている人々はそのことを知っている。あの人は別人ですよといえば言えるのかもしれないが決して表には出てこない。

 

例えば自分がある政党の一員で、選挙でワクチン取りやめを訴えたいと考えたとする。そう考えた候補者もいたのではないか。地元で、近親者をワクチンで失った支持者からぜひこの接種を止めてくれと頼まれた候補者が一人もいないとは思えない。でも決して表には出てこない。

 

この世はデータ、幻であると薄々わかっていて浮世への関心はそれほど多く持たない自分ではあるが、この統制の凄さには関心がある。日本だけでなく、世界中でそうなのだ。

 

このメカニズムはすごい。どうなっているのだろう?何か都合の悪いことを暴露した人には途轍もない仕打ちが待っているとか?

 

トランプでさえワクチンを打てと言ってるもんね。やめろとはいえないんだろうな。なぜだろう。