そんな妄想と仮説からコロナ騒動の帰結そしてその後を想像してみよう。

 

いずれ終わる。それは今年かもしれない。ある日突然、テレビ新聞ラジオが一斉にコロナに触れなくなる。日本では3回目接種が終わったしばらくあとだろうか。もう、どうあっても打つ人々、誰が止めても打つ人々はその時点で打ち終わるからだ。打つ人と打たない人の選別はそこで終わる。

 

ワクチンで即死は少ない。しかし数年にわたって影響が出て人口は減る。打つ人と打たない人は厳然として分かれるのだがその間に異種間交配もあり、結局残るのは打たない人と、打たない人同士の交配によって生まれた子供だけだろう。人類は、バイオロボ投入前の純粋種に逆戻りする。

 

終わったときには人口は多分7〜8割くらい減っている。それが5年後なのか10年後なのかはわからない。生活や産業の立て直しは大変だろう。農林漁業が再び主要産業になるかもしれない。都市生活は壊滅的となる可能性がある。まず物流が動かない。しかし、それでも生き残る人は生き残る。

 

情報工学は相変わらず発展し続ける。メタバースを超えるシステムが開発される。おそらくはオープン開発だ。鉱物学的な知見を投入する者、天文学的な知見を投入する者、動物学的な知見を投入する者、それぞれが活躍するだろう。そして新たなバーチャル世界が一つ、我々の世界の下位次元として生成されるだろう。問題はそれを駆動するエネルギー源だが、もはや化石燃料は使われない。再生可能エネルギーが重視される理由はそこにある。

 

残る人たちがどんな人々かは江戸時代を想像してみれば良い。エコロジカルで、平和的で、圧政には物申す人々だ。

 

そう考えると、明治以来の近代のある種の生きにくさが解消されて、多少は落ち着いて生きられる世界かもしれない。