日本は高齢化と人口減少が大問題だと騒ぐが、そして確かに大問題なのだが、それ以上に不思議なのは明治初年度に3千万人だった人口が太平洋戦争の時には1億人になっていたこと、つまり70年間で人口が3倍になったことだと自分は思う。

 

どこから出て来たんだ、この人たちは。一般的なイメージでは、当時の女性は生涯に10人も子供を産んだ。何人かは衛生状態が悪くて死んだが、それでも一人の母親から5人、6人と子供が生まれ育って人口が爆発的に増えたのだと。

 

本当か。

 

確かに、自分の親戚筋でも曽祖父曽祖母の時代には兄弟が5人いた、6人いたという話は聞くことがある。でもそれはそういう家もあったということであって、どの家もそうだったとは言えない。そうでない、子供ができないで廃絶になってしまった家の話だって同じくらい聞くのである。

 

当時の話として気になるのは、東京や大阪などの裕福な家や商店には必ず住み込みのお手伝いさんなり丁稚なりが大量にいたということだ。この人たちは、どこかからやってきた。明治の学生を描く小説などでは必ずそれらの人々は下宿している。どこかからやって来た人たちだ。台湾や半島を併合した時も大量の人の移動があった。列島から出ていった人もいるが入って来た人も相当数いる。

 

70年間で3倍である。しっかりした人口調査(国勢調査)が始まったのが大正時代、1920年だ。じゃあ明治維新の1868年から1920年までの50年間に人口調査はなかったのかというとあった訳だが予算も精度もずいぶん違う。

 

バイオロボの大量投入ということがあったとすれば、この時期がまず怪しい。次に怪しいのが二次大戦後、集団就職で地方から都市部への大量の人口移動があった時だ。

 

そもそも日本人には、先祖を3代遡れる人が少ない。江戸時代からの家系図が残っている家は何割なんだ。

 

これほど情報が流れているのに進んで第3回目の接種をする人たちは何を考えているのかと怪しむ訳だが、彼らはバイオロボであって上から言われたことに従うことしかできないのだという説明が妙に説得力があるから考えてみた。そうか。上から言われたことに従うだけの人間というかバイオロボが、工業化の過程では大量に必要だったんだね。今そういう時代が終わるから、こうやってさようならするんだという話なのね、となる。

 

考えてみれば、上から言われたことに従うだけというのは、大工場や大企業に勤める場合には美徳だ。役所でもそうだろう。でも上が正しければ良いけど、しばしば間違うし悪意を持っているケースもある。王様は裸だ、と叫ぶ少年こそ社会には必要だ。