ダブルスピーク

わたしの現時点における現実的な問題の一つは、勤め先での立居振る舞いだったりする。緊急事態宣言が引っ込められて出社制限も緩和になった。今週は毎日、出社しているがやっぱりコロナで気を遣う。

 

5人くらいで打ち合わせ1時間すると、ちょっと偏頭痛がしてくるのは以前と違う。いわゆるシェディングでしょうか。

 

お客様をお呼びしての集まりをする時には(商談会とか)ワクチンなんとかパッケージを適用、とあるのですが自分は非接種なのでどういう扱いになるか聞かなくちゃいけない。

 

というのも、職域接種の参加率8割、それ以外にも地元自治体等での接種者が1割以上いるというから9割以上!?の社員は接種済みなんですよね。

 

よくSNSで、周りの人が接種しないように勇気を出して声をかけよう、と書いている人がいますが、どうしよう。3回目はやめておけ、としか声のかけようがない。

 

一方で、会話が増えてくると(リモートより雑談は圧倒的に増えた)隠れ非接種者らしき人も発見できそうだ。昨日、若手男性社員との雑談の中で言論統制とかダックダックゴーとかの単語が出てきたので、ああ、この人は仲間かもしれない、と直観した。隠れキリシタンがお互いを探し合うみたいな状況ですね。在日の人たちもこんな感じなのかな。

 

会議でも総務部とかは新型コロナウイルス感染症の拡大を防止するため、という言葉が枕詞になっている。まずウイルスはないかもしれないと言われている。感染症も実は普通のインフルエンザである疑いもあるし他の死因でもコロナと書きなさいという厚労省指導も明らかになっている。拡大はしていない。従ってその枕詞は全て不正確なのだが誰も疑わない。また、ワクチンの危険性について語ることはほぼタブーの空気がある。それはそうだろうな、9割接種済みなんだから。

 

会社を出るとホッとする。気を遣わなくていいから。

 

あれだな、旧ソ連とかこんな感じだったんだろうな。ダブルスピークって1984年だっけ、素晴らしい新世界だっけ。まさか生きている間にこんな環境に突入するなんて思いもしなかったけれど、言論にはもともとタブーがあるのだと気づく良い機会とも言える。

 

こう考えてきて、ふと皇族の結婚話の進展に意識が向いた。あれ、どうなるんだろう。