悟り?

何日かに一度、マンデラエフェクト体験を思い出す。繰り返しになるが自分の心臓は以前、左胸にあった。今は真ん中である。これが最もショッキングな体験で、異世界間の移動みたいなものが実際にあるんだという事は自分の中で否定し難いものとなった。

 

他にも手首で脈を測る位置が変わったとかオーストラリアが西に動いたとかダビンチの人体回転図で手の本数が減ったとかビーナスの誕生が二枚貝から一枚貝になったとか信じられない変化は無数にある。

 

いずれ、我々は違う世界にいくのだろうなあという漠然とした感覚はある。行くか行かないかはわからないが、少なくともそういう可能性はあるのだと信じざるを得ない。

 

マンデラエフェクトでさらに驚いたのは日本が米本土を空襲していたり(自分はそんなこと習わなかった)オーストラリアに攻め込んでいたり、戦艦大和が何回も出撃していたり、などなど歴史まで変わってしまったことだった。こういうことがあるから世界線という言葉が出てくるのだろう。タイムライン。違った世界に移動すると、過去の事象も違ったことになっていると。

 

歴史についてはこうも考えた。事実確認のしようがないから書類上の書き換えなんじゃないの?しかしそれは無理だろう。無理だと思う。嘘を教えていました、と誰かが謝って済むような狭い範囲の話ではなくて、それこそ関連資料は山のようにあるだろうし生存者の発言記録も無数に残っている。全部変更するのは不可能だ。

 

 

さてそういう世界認識があると、今目の前で起きているパンデミック騒ぎ、ワクチン騒ぎ、インフレ騒ぎはスーッと相対化されていくんですよね。これはあくまで盤上の事象に過ぎない。盤を俯瞰する目線がある。言葉を変えれば異次元世界があるということなんだけれども。

 

話は飛びますが、悟りを開くという表現がある。禅で用いる。精神修養すると物事に動じない心が得られるというような理解を自分はしてきた。ちがうのではないか?この世界について、見えてしまった人が悟りを開いたことになるのではないだろうか。

 

禅はトランス状態になることがあるからそこで何らかのインプットがあるのかもしれない。で、目の前の事象は全て盤上の出来事であると知る。でもそれは体験した人にしかわからない。体験していない人には伝えようもない。

 

悟った人は行動や生活が変わるかというと変えようもない。ただ目の前のことに懸命に取り組む以外の道はない。あるいは良寛のように子供と遊ぶとか。

 

我々も盤上の一齣である。できる事は限られている。その中で、やらなければいけないなと思うのは、盤上に平和と安寧が来ることを望み続ける事だろうな。