ヒントだけが提示される。
あとは自分で考えろ、の世界である。
ヒントは十分すぎるほどもらった。
人間社会は根本が狂っている、という事実。
世界は幻であり如何様にも変化する、という事実。
ヒントの与えられ方も、順々と、わかりやすく、丁寧に計算され実行されていると自分は感じる。
こんなぶっ飛んだ空想をしているのだけれども、意外に馬鹿にできない考え方であると自分でも思う。宇宙の摂理みたいなものも感じる。それは共存とでも言えるものだ。
ゴドーは言葉を使わない。ヒントを提示するだけだ。
それをヒントと感じた人は、考え始める。考えて、考えて、正解の答え合わせはないんだけれども、これかな、という地点に辿り着くことはできる。
自分の今の考えは、全ては学習であり、ある段階(十分に多くの人が気づいた状態)に達した時に世界の変換が起きると言うものだ。ただそこまでは、自分たちでこのヒントは何を意味しているのかを考え抜かなければならない、と言うハードルがある。何でもかんでも与えられる、という認識のままでは世界の変換が起こせないのだろう。それも分からないではない。
あとはまあ、信じることだろうな。
ここで論じたことには、何の物的証拠も存在しないわけだし。