接種者を救うために誰か犠牲になれるか、と書いた。数個前の文章だ。

 

その後、少し考えを変えたところがある。

 

ゴドーにも失敗はあるのだ。2千年前もおそらく人間社会はクズだっただろう。ゴドーは全員処刑だ、と思ったかもしれないが「ちょっと待ったー」と出てきたイエスが「私一人が身代わりに」と言うものだから、仕方がない、と応じたところ、残ったイエスの弟子たちがこの美談をネタに利益集団を組成して悪の限りを尽くすようになった。

 

ちなみにユダヤ教新約聖書を認めていないようである。

 

ゴドーは「アチャー😣」と思っただろうな。次の機会が来たら、同じミスは繰り返すまいと考えたことだろう。

 

その前も何かあったっけ。ノアの箱舟か。あの時も信用できそうな一家だけ選んで全員処刑したと言うことだ。が、その後、人類が清く正しく生きたという展開にはなっていない。

 

人類は、放っておくと必ずクズな社会を作り上げる。このことは、ゴドーも骨身に染みて感じているだろう。

 

いま我々が見せられているのは、我々がいかにクズか、という実例の連続に他ならない。選挙は誤魔化すし、要人は入れ替えるし、毒を打って仲間を大量に死なせようとするし、しかもその原資は税金である。中抜きも仲間内だけでの利益独占もやり放題。そういう上位層を頂く社会で我関せずとのんびり暮らす多くの「その他大勢」。

 

よーくこれを見ることだ。そして、あたらしい世界では2度と同じことはするまい、させまい、と肝に銘じることだろう。それでも同じことが起きる可能性は消せないが。