20240214 南ベトナム共和国の最後

昨日はアフガニスタンを勉強しましたが次ややっぱりベトナムでしょう。

 

フランス植民地だったベトナム大東亜戦争大日本帝国が解放したものの、敗戦により空白状態が生じ、中ソが後ろ盾となって社会主義国の樹立を宣言。これを嫌った旧宗主国フランスが別に民主主義政権樹立などの対抗措置をとるも内戦の結果撤退に追い込まれます。植民地搾取の夢よもう一度と粘ったフランスでしたが1954年のティン・ビエン・フーの戦いで17万人をこえる死者・行方不明者を出し力尽きました。北ベトナム当時から強かった。

 

同年のジュネーブ合意で、とりあえず北緯17度線で南北は別の国だということにするが、2年後の1956年には南北統一選挙をして一つの国になろうねという約束が成立。ところがここで出てきたのがやっぱりアメリカで、もし北主導の統一で共産主義国家ができたら隣国など次々に共産化するぞ、それは許せん、という理由づけで介入を開始。南ベトナム政府を傀儡化して南北統一選挙実施の約束を反故にさせただけでなく、有名なトンキン湾事件(1964年、偽旗)を契機に自ら軍事支援に踏み込みました。

 

ちなみに当時の南ベトナム政府については、1955年にアメリカの支援で国王を追放し初代大統領になったゴ・ディン・ジェムとその家族について少し調べればその混乱、腐敗、専制の状況がよくわかります。アメリカも流石にこの一族を問題視して、軍事介入する1年前にベトナム軍にクーデターを起こさせて追放しているくらいです。

 

で、実質的に米軍対北ベトナム人民軍のいわゆるベトナム戦争が始まりました。米国はいつもの米国で、敵の物資供給ルートを壊滅させると言ってカンボジアラオスも攻撃しています。めちゃくちゃです。北に対しても枯葉剤とかナパーム弾といった残忍な兵器を躊躇いなく投入、こういった悲惨な経緯を辿りつつも米軍は勝てず、無限に消耗して撤退に追い込まれます。すでに1968年から講和に向けて行われていたパリ和平会談が1973年1月に集結。米軍の撤退が決まります。これが、日本の現在位置に相当するところかもしれません。米軍は約2ヶ月で撤退を完了します。

 

残された傀儡政権はどうなったか。頑張りました。自軍のみでその後2年間、持ち堪えましたが力尽きて1975年4月30日のサイゴン陥落を迎えます。ここで複雑なのは、倒れたのは米傀儡の「ベトナム共和国」であり、その幹部らは国家消滅後駆逐されました。サイゴン陥落後に代わって建ったのが南ベトナム内で反政府運動を続けてきた俗に言う「南ベトナム民族解放戦線」の面々による「南ベトナム共和国」なのですが、ここがこともあろうに北ベトナム政府に乗っ取られるような形で1年後に消滅しベトナム全土がベトナム社会主義共和国に統一されます。なぜ乗っ取られるという表現を使ったかというと、南ベトナム共和国幹部はその後、冷遇され排除され、何人もが夜逃げ、亡命の憂き目に遭っているから。

 

どうでしょう。米軍撤収後も、自公政権は1〜2年は頑張るかもしれませんね。でもそれを倒す勢力がいずれ出てくるんでしょう。で、自公を倒したからといって安泰でもない、そんなイメージを展開するのに、ベトナムの事例は少し役に立つかもしれません。最後の最後は何が国の柱になるのか。今のベトナム、私も数年前に出張で行きましたけど、その時の感じで言うと、何らかの「力」でしょうね。この辺を、引き続き掘り下げていきたいと思います。