20240215 イラクからの米軍撤退

このところ集中的に「帝国が撤退した国はどうなるのか」を主題として、アフガン、ベトナムを勉強してきました。次はどう考えてもイラクなんですが、これは手強い。聞きしに勝る複雑さなので、私の理解した範囲のみ記しますが、内容はとても薄いと思います。読んでくださる方には予めお詫びします。

 

そもそもイラクという国の生まれ方が不幸というか可哀想というか、メソポタミア文明発祥の地ですが19世紀にはオスマン帝国領だったのが御多分に洩れず第一次世界大戦で勝利した英仏が勝手に線引きして作られた区画であり、当初はイギリスの委任統治領だったそうです。戦勝国の戦利品としての領土獲得なんですね。そしてその区画の中にはイスラム教のスンニー派シーア派、加えてクルド人が混在しとても統一民族国家ができる素地はなかった、というか最初からそれは消されていたということでしょう。むしろ内紛の種を抱えた器を作ったと。イギリスらしい狡猾さです。そしてちゃっかり油田の権益だけは手にしています。

 

住民の大多数を占めるシーア派が英国支配に対して大規模な反乱を起こし、これを抑えるためイギリスは手下(といって良いと思います)のイスラム名家出身者ファイサルを国王としてイラク王国を独立させました(1932年)。なんと元首を外国が勝手に決めて呼んでくるという。いや、日本だってそうかもしれないぞ。でイラクの場合は先述の通り強烈な宗派対立が内包されているので纏まりようがない。このため政情はいつも不安定で王家を倒す革命が起きたり(1958年)、クーデターが起きたり(1963年)の連続。少し安定したのは、クーデターを主導したバース党からサダム・フセインが出て(大統領就任1979年)独裁政治を開始してからのようです。なお歴代イラク政権はイギリスにより人為的に切り離されたクウェートの併合にはずっと積極的で、これが湾岸戦争の遠因になります。

 

サダム・フセインは毀誉褒貶ありますが国家の統一と生活水準の向上、近代化には一定の成果を残したようです。が、どうも石油決済をドル以外でやりたかったらしい。真因はわかりませんがアメリカを怒らせ、湾岸戦争(1991年)、そしてイラク戦争(2003年)を起こさせます。イラク戦争はわずか2ヶ月で終わりイラク共和国は滅亡。英米による連合国暫定当局が統治するという形で「実質的にアメリカ合衆国の海外領土に組み込まれた(Wikipedia)」という悲惨さです。米軍の駐留規模は最大で17万人に及んだと言います。そんな中、オバマは戦争の終結を宣言し2011年には米軍が一旦、完全撤退します。しかしその後、現地の情勢はISの登場などで再び、というかさらに悪化、IS掃討の名目で再び米軍が駐留を開始するに至ります。その任務が大体終了したとのことで、今、再び完全撤退するとかしないとかいう話になっている状況ですね。意外に日本語情報が少ないので、ここまでまとめるのは大変でしたが。

 

と、ここまでは予備知識で、問題は米軍撤退した後にイラクどうなるのか。米国が押しつけた民主化は惨憺たる状況のようで、サダム時代の方が良かったとする記事が多く見られます。また、イラクの政治はなんと野党がなく、原則として全政党が閣僚ポストなどを分け合い、そのラインを通じて国家予算を非公式に配分させるという「利益分配共有(ムハーササ)」というシステムなので汚職と非効率が絶えないんだと、これは駐イラク日本大使が書いています。そうでもしないと元々分断的な国民がまとめられないのかもしれません。

 

日本の将来を考える際に参考になりそうなのは、駐留軍は混乱を残して去る、という一般原則と、その時に残された被支配層が分断したままだとまともな世の中はつくれない、ということかな。混じり合えない集団ごとに、それぞれの土地に暮らせればそれが一番いいのかもしれません。