コロナから回復して、少し元気が出てきてネットを見ていると、甲子園で優勝した慶應高校の応援が少なからず物議を醸していることがわかった。テレビでは音量を絞って聞いていたのでそんなに感じなかったが、アルプススタンドだけではなくて、外野席まで応援の人で埋め尽くされていて、ものすごいボリュームの応援を繰り広げていたそうだ。えげつない、という指摘がある。
まあ、あの学校は、衒いもなく勝ち組ぶることが全体的な特徴だから、何を今更という気もしないではない。俺たち慶應だよね、私たち慶應だよねという明るい仲間意識選民意識が現役の学生にもOBにも溢れているではないか。これは若くても高齢でも男性でも女性でも一緒。内部的には、幼稚舎からせり上がってきた少数派がコアで、中学、高校、大学からの入学者はその順番で薄まっていくようだけれども全体のベクトルは変わらない。まあカルトみたいな集団だと外の人は思っている。
それはもう、どこの私立学校でもあるだろうから、取り立てて慶応だけが下品なわけじゃなくて、仕方のないことだとは思うのだ。同窓生の集まりとはそんなものだ。
ただ、解せないのは、創立者の福沢諭吉は「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずといへり」「門閥制度は親の仇でござる」と書いたと言われている。その精神を実装するために学校を作ったとすれば、その後の慶應の歩みが、人の上に立つ人の集団を作りたがり(三田会)入りたがり、門閥制度(家柄の良さ)が大好きで仕方がない人物を多く輩出してきた学校に見えるのは皮肉なものだ。
普通の学校は、創立者の理念を素直に継承しようとするもので、それが時代に合わなくなってきて葛藤したりするものだ。そういう意味では、慶應は不思議な学校だと思う。
ところでこの文章を書いて、ついでに慶應とワクチンの関係を見ていたら、なんと接種5万人プロジェクトを実施、と自慢げにホームページに書いてある。大丈夫か。大学は知の拠点ではなかったのか。