20220907 気づいた後どうする

世界は茶番、というかさらに深く世界は幻、世界はデータ、というようなおかしな?考え方に辿り着いた後、人間はどうなるのかという点について自らを題材に考えてみたい。

 

自分自身は、力が抜けた。世間的な意味で真面目に生きてきた部分が崩壊した。元々そんなに真面目ではなく、いい加減だったり無気力だったり表裏があったりしていたのは事実だけれども、家庭内とか勤め先ではそれなりに他人の目を気にして真面目を装っていたというか、変な人だなあ、だらしない人だなあと思われないようには気を付けていた。

 

が、その緊張感はほとんどなくなってしまった。だんだん、素の自分でそのまんま生きるようになってきた気がする。リモートワークをいいことに平日の昼から缶ビール飲んだりするもんな。あ、まだ二重人格か。流石にオフィスではできませんけど。

 

他人との約束も最低限しかしないし、最低限しか守らなくなった。何かに拘束されるのが一段と辛くなってきたからだ。

 

先月くらいまでは、新しい情報がないかと一生懸命にネットを回遊していた。しかし8月以降、急速にその気力も熱意も失われてきた。新しい情報なんてないとわかってきたのと、他にやりたいことが出てきたからかもしれない。

 

ワクチンとか統一教会とかウクライナとか「それはなー」と思うことは多いけど、必死になって証拠を集めてどうだとばかりに他人を説得したりする気には元々ならない。

 

そう。状況はよくわかってる(と思う)。そしてそれが長い目で見れば改善されていくことも感得している。逆にいうと、そこで自分がジタバタしてもなんの影響力も生まれないということはよくわかっているのだ。

 

という中で、やるべきことは何かを探している。そしてこれかな、というものがだんだん姿を現してきたような気もする。正解を示してくれる存在なんてないことも知ってる。あくまで結果を見て「そうだったのか」となるだけだ。

 

なんの根拠もないけれども、地上の問題(ウクライナ、ワクチン、統一教会等々)は地上で然るべき人々が解決していくと思うしかない。それに参加しない人でも、何かミッションというか役割はきていると感じる。これがそうかと思ったらまあやってみることだろうな、と。不思議と、そう思えることって目の前から消えていかない。いつまでも、着手されることを待っている。そして、それ以外の雑事を目の前から消していく。最後にそれが残る。それをやらざるを得ないような環境がいつの間にかできていく。

 

気づいた人の多くがこんな感じではなかろうか。自分の場合、それが今の勤め先での仕事ではないという天の声を聴きすぎて、力を抜きすぎて、狭い世界だが人望めいたものがなくなっていくのは少し残念なのでそこは人並みにやりながら、ということになるんだけど。