熱狂と意図的静観

統一教会批判が盛り上がっている。国葬には8割の国民が反対だという。国葬反対のデモやプラカードも画像でネット上に流れ始めた。カルト宗教と政治の癒着を断ち切れという。正しい。

 

しかしデジャブ感あり。

 

ロシアのウクライナ侵攻を許すな。プーチンは独裁者だ。ウクライナを救え。国会で青と黄色の衣服に身を包んだりした議員たちがゼレンスキーのビデオ演説に総立ちで拍手。自分の勤め先でもウクライナへの自主的寄付が百万円も集まったと。

 

今どうだ。

 

最近思うんだけど、熱狂は作られるものであると。

 

熱狂が発生した時には、まあちょっと引いたほうがいいのではないかと。

 

トランプも熱狂的な支持があった。今でも米国各地で演説の巡業をすると一言一句に歓声を上げる聴衆が集まる。

 

ワクチンもそうだ。衝撃の武漢画像を出して脅し、ワクチンは効き目があると言って熱狂させた。自分の勤め先では9割が職域接種した。

 

全体を企画運営する存在があるとすれば、上げたり下げたりして反応を見ているような気もする。

 

こんなに何回もやられれば上げ下げ疲れも出るだろうし、もう騙されないぞと思うと思うのだがそうでもない。

 

初めから、冷めてる人は冷めていて、今回も騒ぎすぎだと思っているのではないか。

 

そういえばトランプがしつこく統一教会との関係を押し出してくるが、これはなんなんだろうというのが今冷静な人たちの頭の中の疑問であるはずだ。