20221203 軽い国民

知人に明治維新を好きな男がいる。坂本龍馬に憧れるとかいうタイプ。この男が、今年の2月にロシアがウクライナに攻め込んだ際、真っ先に「ウクライナに寄付しよう!」と言い出した。それをなんとなく冷ややかに見つめていた自分がいた。

 

この男が乗らされるのだから、ウクライナ危機は怪しい。そういう捉え方もしていた。

 

そういえばゼレンスキーは日本の国会でもリモートかビデオで演説し、国会議員は総立ちで拍手を送っていたっけ。ますますこれは怪しいと思わざるを得なかった。

 

ウクライナへの寄付を主張した男は、ワクチンも真っ先に打ちに行った。自分が感染を広げるわけにはいかない、と真顔で語っていた。実に真面目で一本気な人間なのだが、申し訳ないけど、軽い。でも、普段は律儀で礼儀正しくて、正義感が強いのである。一言で言うと、立派な社会人なんだけれども、ここぞと言うところで、軽い。

 

今いろんな人が指摘し始めたが、政府は酷い、議員は酷い、政治全体が酷い。でもその原因は、やっぱり政治家や官庁にあるのではなくて、我々にあるんだと。

 

我々が真剣にやってこなかったからこうなったんだと。

 

いや私の言葉で言い換えると、我々が軽かったからこうなった。

 

郵政民営化もそうだったんじゃないのか。霞ヶ関の利権をぶち壊せ!という主張に熱狂してこ大泉政権を支持したのは私たち日本国民だった。バブルで儲けた悪い奴らをやっつけろという日銀の誰だっけ、平成の鬼平とか言われていた人を英雄視して支持したのも我々だった。

 

我々はこれからもずっと軽い人間であり続けるのかという問題は重要だ。今回のワクチンなどで、ああ政府は信用できないなと考えるようになった人は多いだろう。でもまだ5回目打ってる人も何百万人もいるから、集団としての日本国民にはあまり期待できないかもしれない。

 

じゃあ我々は一生、そして永遠に馬鹿なままなのかと。まあそうなんだろうな。集団としては。非接種者には疑い深い、性格の良くない人がたくさん含まれていると思うけど、社会全体としてみれば、存在価値はあるんだろうな。それは、嫌われても、あのね、よく考えた方がいいよ、と言い続けることとかね。非接種者は、少なくとも軽くはないから。軽い非接種者にはあまりお目にかかったことがない。