発言の不自由さについてひとつ前に書いた。

 

コロナは怖い的な世界の見え方を「公式系」と仮に呼ぶ。コロナは怖くないという方を「本音系」とする。

 

いま公式系と本音系はせめぎ合っているように見える。

 

コロナの怪しさ、ワクチンの危なさに関しては半々くらいになってきたのではないか。

 

温暖化と脱炭素も5:5くらいかな。というか庶民は無関心だと思う。賛成反対無関心の比率で言えば2:1:7とか。ビジネスや学問、行政をやっている人たち、特にその責任者連中にとってみれば公式系以外の選択肢はないだろう。以前トヨタの社長がカーボンニュートラルで雇用が失われると発言したらしいが、その後はそういう報道は無くなった。自由な議論はできないものと決まったらしい。雇用はホント、危ないと思う。

 

LGBTは庶民は反対だろう。全人口で言えば9:1で反対と無関心が圧倒的に多いだろう。うるせーなと思っている人もいると思う。変態を持ち上げてどうするんだと。でもそういう本音系は古い時代の人間と見做されることになる。危ないから発言しない。

 

女性活躍は賛成反対無関心で3:2:5かな。心からの賛成派は本当にいるのか。逆差別的な色合いもある。自分は女性が躍進することは構わないというかいいことだと思うけれど同時に女性の自殺が増えていることが気になる。底辺というかそういうところに女性が多いのではないか。その議論の方が大事ではないか。女を出世させろの大合唱にはなんとなく違和感がある。

 

公式系ってどこからくるのだろう。

 

SDGsLGBTも女性活躍も個人情報保護もワクチンもCGCも脱炭素も全部海外から来た。欧米。

 

いやーな感じはそういうところからもくる。

 

こういう押し付けと遠いところで生きたい、暮らしたいというのが日本人の元々の感情ではないかと思う。