世界の見え方

ネット情報に浸かると世界の見え方が変わってしまう。自分は変わってしまった。

 

表の世界(新聞テレビ雑誌&公的な場所における公的発言会話)ではコロナは恐るべき感染症でなければいけない。ワクチンは効果があるものでなければいけないし接種はほぼ国民的義務となっている。温暖化は事実と言わないといけないし脱炭素は至上命題でなければいけない。SDGsを疑ってはいけない。世界の未来のために必要なことだ。LGBTは差別されており改善しなければいけない。同性結婚を認めないのは遅れている。外国人に参政権を与えるのが進歩的だ。女性活躍を推進し企業の経営陣にはダイバーシティがなければいけない。

 

裏の世界というか我に返ってしっかり考えると随分違うことになる。

 

コロナは怖くない。ワクチンは毒だ。接種はできるだけ回避したほうが良い。温暖化は進んでいない。脱炭素をすすめると産業が壊滅する。SDGsはそれぞれの国が一定の倫理観を持てば必要ない。LGBTは変わった人たちであり差別はいけないかもしれないがやはり少数派である。同性結婚は人類の歴史から考えて不自然である。いてもいいが持ち上げるほどのことではない。参政権はやはり国籍を持った人に限るべきだろう。然るべき地位には然るべき人が就くべきであり女性だからと言って無理に引き上げる必要はない。

 

つまりあべこべである。

 

しかし公的な地位にある人が公的な発言においてコロナは怖くないとは言えないようだ。仮に自分がある役所の課長とか事務次官だったとしよう。大臣でもいいや。コロナは怖くないと本当は思っているとする。言えるか?企業のトップだったとしよう。大学の理事長とか学長でもいい。言えるか?今まで誰も言えていない。

 

それが現実だ。不自由な世界である。いろんな意見があっていい、いろんな意見が言える世界が望ましい、そう思われませんか。

 

ネット情報に浸かったおかげで自分は後者の考え方をするようになってしまった。そうするとどうなるかというと、相手によって本音を言っていい相手か公的発言にとどめておくべきかを常に判断しながら生活しなければならなくなる。これは家庭の中においてもそうで、皇室には影武者がいるらしいと言っただけで不穏になります。

 

勤め先の中においておや。流石に三回目接種の議論は今のところ下火になっているが。下火になったのはなぜだ。ワクチンで死んだ人が結構多いことが知られてきたのか、日本人はあまりコロナに罹らない、死なないということがわかってきたからか。