今、正常な感性を失わずにいる人たちが考えていること。
・地球は温暖化していないのではないか。異常気象はあるが。
・同性愛は不自然ではないか。差別はいけないが主流に持ってこられても困る。
・無理矢理女性社員を幹部登用したら頑張ってる男性社員たちの士気が損なわれないか。
・税金をたくさん取られている割に、政府は納税者に便益を供与していない。お金はどこに使われているのか。
・ウクライナは怪しい。
・札幌五輪はいらない。
・大阪万博も怪しい。
・マイナンバーカードはいらない。
・なぜこんなに半島に煩わされなければならないのか。放っといてほしい。
こういうふうにものを考えられる正常な感性は、国民の1割が保有しているわけだが、それは先天的なものなのか、後天的に身につけるものなのか。もし後者なら、教育というか育て方によって、そういう感性を持つ人を増やしていけるはず。
自分自身について言えば、一番大きな違和感というのは、昔はもっとどの世界でも論争があったぞということ。政治のあり方にしても商売の仕方についても、もっと自由に論争していたぞ、と。これは日本だけの話ではなくて世界中でそうだったよ。
が、今、地球温暖化は起きていない派と起きている派の論争はない。もう決着済みということになっていて、ひたすら二酸化炭素削減の技術論や政策論をやっている。これがおかしいと思う。おかしいと思うことは正常な感性だと思う。
これは世の中の隅々にまで行き渡っていて、例えば中学高校でスカートの長さは膝上◯cmまでとかいう校則が有るとすれば、それを無条件に受け入れて、剰え従わない生徒を批難したり諭したりするのが良い生徒だということになる。これとマスク警察は構図がおんなじだ。というか、会社や役所の中の出世メカニズムも一緒。そもそもなんでスカートの丈を高速で決めるんだ、という疑問を抱くのが正常な感性。
正常な感性を持ってさえいれば、世の中の枠組みの中でとんとん拍子に出世することはまずないだろうが、枠組みもろとも崩れ去る時には安全でいられる。そう考えると、動物的な本能なのかもしれない。個体を守る、最終的にはそのことによって種を守るという。
むしろ、社会的な教育によってその動物的な本能をどれだけ削いでいくかということが行われていると見た方が良いような気がしてきた。