20240704 「幼年期の終わり」再読

昨日、所用で昼過ぎに恵比寿駅前を通ったら、田母神さんが街頭演説を始めるタイミングでした。面白そうだと思って少し時間があったので立ち止まって見物。ものすごい暑さで、演台に上75歳の同氏は少しきつそうで動きも鈍く、ああ自衛隊出身と言っても年齢には勝てないのかなというのが第一印象。その後、減税する外国人特権を一掃すると唱えて数百人の(駅前の広さからすればけっこうな人数)聴衆の喝采を得ましたが、一転して憲法改正だ九条廃止だと言い始めると、白けたムードに。まあこんなものかな、街宣を続けていて減税が受けるから冒頭に持ってきたのかもな、と。一定の得票はあるでしょうけど、受かる感じは全くしません。

 

ところで思うところがあり、1週間ほどかけてアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」を読了しました。最初に読んだのはもう昔の話で、内容はほとんど忘れていたので新たな驚きがありました。

 

ネタバレ覚悟であらすじを書けば、21世紀初頭の地球に巨大UFOが多数飛来し主要都市の上空に居座る。国連事務総長が人類代表としてただ一人異星人と接点を持ち、そのメッセージを人類に伝える。結果、戦争はなくなり、AIやロボットの普及で人は働かずとも暮らせる理想郷実現に至る。この占領50年後に人々の前に姿を現した異星人の外見は悪魔そのものであった。

 

異星人はその後人間社会と直接交流。その飛来目的は人類の次の進化への条件を整えることであった。その進化は彼らが姿を現した50年後に、念力駆使など子供たちの非人類化として現れる。ある次点以降に生まれた子供たちは一斉に、個の肉体を持ちながら精神的には一つにつながる新たな存在に変わってしまう。

 

地球を100年間支配した悪魔もどきの異星人は、自分達は宇宙意志のパシリに過ぎないと告白。そして自分達は進化できないが、地球人類はできるのだと羨む。やがて全ての旧人類は死滅し、新しい人類は集合意思として別の次元に転移。それと共に地球は物理的にもその姿を消していく。  以上

 

クラークの別作品「2001年宇宙の旅」でも、人類の進化が描かれていましたから、そういうイメージをこの作家は持っていたのでしょう。神という言葉は使っていないけど、宇宙意思というものがあり、それは物理的肉体よりも波動とか精神とかの領域において我々の進化?を司るというようなことでしょうか。

 

なぜ私がこの物語を再読したくなったのか不明ですが、悪魔が来たりて平和をもたらすというこの前半部分の描写が、なんとなく現代地球社会を先取り表現していたのかもしれないという気にはなりました。そして、それが自分にはあまり大きなことには思えない、その理由は、この小説を読んでいたから、地上は一見たいへんだけれども、種というか生物としての人類のメタモルフォーゼみたいなことがありうるとすれば、地上の物理的世界で何が起きようとも、とても小さなことに過ぎないという感覚を刷り込まれていたかもしれません。

 

その感覚は自分の深いところにまだあって、人類がこれほど酷いのは、宇宙感覚で言えばまだ幼年期だからかもしれないと考えたりします。先は長いです。