20220911 SFはシグナル

安倍首相暗殺の実行犯とされている山上さん。彼に対して自民党から「民主主義の敵」との批判が出てきていることに違和感を持つ人が多いだろう。自分の感覚から言えば民主主義の見方というか、専制主義の敵に見える。

 

山上さんが何に敵意を持ったかというと、それは統一教会であり統一教会と結託した、というよりも統一教会の活動を助長した自民党だったはずだ。それを認めるなら、民主主義とは統一教会でありその意を汲んで政策を進める自民党だということになる。おかしいだろう。

 

その延長線上に、統一教会を批判するな、信教の自由は憲法で保障されているという主張も自民党から出てきている。噴飯物だと国民は思っている。違う、そこじゃない。宗教は別にいいけど生活を破壊するほどの喜捨を強要したり、特定政治家の選挙活動に無償で奉仕したり、その見返りとして特定の政策を推進するよう圧力をかけたりする活動はダメ出し、そもそもその宗教団体の成り立ちが外国勢力であることなども問題視しているのだ。決して宗教だからダメと言っているわけではない。そこをずらしてる。

 

考えてみればアメリカも民主主義を守ると言って選挙不正を行いワクチンを強要し不法入国を留めない(民主党)。我々一般国民の考える民主主義とは真反対の、専制主義こそ彼らのいう民主主義なんだなと思わざるを得ない。

 

これってSFの「1984年」や「素晴らしい新世界」にあった。ニュースピークとか言って、本来の意味と真反対の意味を言葉に与える。民主主義と言えば専制主義の如く。国民の安全を守るためにおいってワクチン接種を推進しているが、これも真逆で国民虐殺のためにと読み替えることだって今や笑い話では済まされない状況だ。

 

一流のSFは馬鹿にできない。この二つの傑作はもう60年以上も前の作品である。

 

そこで思い起こされるのが「幼年期の終わり」だ。人類は異星人とコンタクトする。そのプロセスを詳細に書いているが、現状と大きな違いはなく(まあ解釈によるが)。クラークはやはり只者ではなかったなと思う。

 

この作品でも、やはり人類の選別は隠されたテーマとしてあった。