20240122 神意を察る

察るは「はかる」を漢字変換したもので、推察する、推量するというような意味合いです。ざっとネットを見たところ、八王子市長選挙で自公推薦の候補者が当選して荒れ狂う人たちが目立つくらいなので、ちょっと今考えるところを記してみたいと思います。

 

世耕とか西村とか記者会見してんですね。で、裏金のことは知らなかった、秘書がやっていた、派閥は会計責任者と会長(亡くなった細田、安倍)が決めていた、と説明しているという。

 

ざっと整理してみると、この人たち、党の中核を担って、毒の注射を進めてきましたよね。国民がたくさん死んでも構わないんだ、という策を実行してきた連中ですね。加えて、国民所得の停滞に何の有効策も打ち出せず、むしろ増税して生活の貧困化を進めてきた人たちだったですよね。そして自分達は違法に裏金を作って、脱税してきたわけですよね。それが明るみに出たら、知りませんでした、秘書がやりました、亡くなった会長が指示してましたって言って逃げようとしてますよね。そんなこと、まあだいたいの国民は見抜きましたよね。

 

こういう人たちが見苦しくも逃げ切ろうという姿勢を満天下に晒しているのは、罪に問われるのはこれからだとしても、水戸黄門を愛好するような感性からすればかなり溜飲が下がる事態ではあると思いますけど、なんでこんな愚劣かつ下劣な人たちが国の枢要な地位に上り詰めていたのだろうかと不思議に思う人もいるでしょう。

 

私は全く不思議には思わず、むしろやっぱりなという感覚があります。これは自民党だけのことじゃなくて、組織ならどこでもありうる。清廉潔白で社会正義を体現しようとするような人物は、組織で上にはまず行きません。必ずどこかで足を掬われたり、致命的な失点をして消えていきます。そういう法則があるかのように、例外は極めて少ないと感じます。このブログの読者の方が大組織に所属しているとして、どうですか。私の感想は外れているでしょうか。まあ、悪いことをしないヒトは反面で狭量だったりして、鬱陶しがられる傾向もありますけど。その辺、うまくバランス取れる人は滅多に見ないな。

 

では悪いことができる人ほど上に立つという法則は本当にあるのだろうか。

 

何回か書きましたが、私は造物主の存在を疑っていません。根拠はないけど、普通に考えたら当然いるでしょ、と。で、この世は造物主のプランに基づいて動いているはず。そうなると、彼(彼女?)の意を察(はか)りたくなるわけですが、どうも我々人間の感覚とはずいぶん違って、人間世界は悪い奴が仕切れ、と言っているような気がして仕方がない。実際そういう傾向あるわけだし。悪いことの一つもできないような奴には、人間世界は仕切れない、そういう話なのかもしれない。まあここでいう「悪いこと」は人間の感覚でそう言っているわけですが。

 

造物主に近づいた人々の中にイエスがいると思いますが(人間じゃないかもしれないけど)、彼が磔になって最後に言った言葉が「なんでこうなるんや。。。」だったと。彼はその後、天に召されてそれなりの解決を見るわけですが、人間世界が「なんでこうなるんや」と思わざるを得ないような法則で動いている一面はある気がする。その折り合いは、おそらく死後の世界と合算でチャラにされるようなメカニズムなのかもしれません。

 

漠然と想像するのは、神意とか天意があるとして、それは「こうすれば褒められる」「こうすれば叱られる」というような人間世界で考える教育的なシステム、我々の価値観や倫理観を操作しようとするメカニズムとは根本的に違うような。俺はこういう世界を作りたいからこういうふうに動け、とは言われていないような気もするんです。というか、そうであれば歴史はこうなっていないはず。とすれば、ヒトというのは、「創ってみろ」と言われているのかもしれない。世界をね。いいものができなかったらノアの洪水とかが起きる。はい、やり直し、と。「創れ」「創ってみろ」。これはなんとなく感じるな。