20240105 初夢

正月のお屠蘇気分も薄らいできたのか、熱に憑かれたようなここ数日の書き込みの材料になった突飛な想念がやって来なくなりました。代わりに、というべきか、初夢を見たのでその朧(おぼろ)げな記憶を記しておきます。読者の皆さんには何の関係もないことで申し訳ないですが。

 

①災害関連

何かの集まりで、国土交通省の人が、数枚の書類を配り、防災のためにどのような設備を増強しなければいけないかを説明している。次に自分が、カラー刷りの地図を使いながら、もうここにはヒトは住まない方が良いだろうと発言。

 

②事務関連

どこかの事務室。午後と思われる日差しが明るく室内を照らす中で、自分は書類に目を通している。それは資産状況を示すもので、ふと窓の外を見ると、そこが女子大であることが知られる。

 

①は明らかに、正月の能登半島地震の短期メモリが源泉になっていると思いました。②は出所不明。なぜ女子大?ここで働くことになるのかな。今の職場にはもう長くない、と感じている最中でもあり。

 

夢の分析が古くから行われていることは知っていますが、夢って一体何なんでしょう。起きている時も想念は次から次へとやってきますけど、眠ってても勝手にいろんなものが来ますね。私の場合、夢は動画で、音声はありません。音を聞いたことがない。大抵は見覚えのある要素の継ぎはぎですが、時々、見たことがないものが浮かんできます。この動画の編集は、脳が勝手にやっているのだろうか。すごいな、脳。めちゃくちゃだけど、編集能力あるじゃん。

 

ヒトとして生きるということは、この次々に浮かんでくる想念と適当に付き合いながら毎日を過ごしていくという側面があるわけで、気にしなければいいのかもしれないけど、時に強烈なやつが来てしまい、想念に身体が反応して動けなくなることすらありますよね。例えば受験のときに落ちたら悲惨だぞという想念が高まって、普段解ける問題が解けなくなったりとかピッチャーが打たれるイメージを抱いてしまって真ん中に投げてしまったりとか。なので想念の取扱方は非常に重要な生きる技術だとは思うのです。能動的に何かを想起することを意識と呼ぶとすれば、意識で想念が制御できるかという話。起きている時はまだしも、夢までは無理かもしれないな。

 

ところで昨日、昼前に東横線に乗ろうとしたら渋谷駅でカッターを振り回している輩がいるとかの理由で止まってました。前日に秋葉原では包丁で人を刺した女性が捕まったでしょ。能登半島地震と言い、羽田空港での飛行機事故と言い、物騒な正月になってますね。初夢①にあるように、こういう悪いことが続くと、脳の編集機能が影響されることがあると思う。だから夢に出る。情報の取捨選択、あるいは遮断、ということが、想念の制御においてかなり重要なことかもしれないと考える次第。何かに振り回されて、良いことはあまりないですからね。