AIが奪う仕事、なあんていう特集が経済雑誌に出てくる。何度も出てくる。テイストとしては、あなたの仕事もAIに奪われますよという恐怖感を煽る感じ。それがリスキリングの議論なんかにつながっているのだろうことは薄々推察される。
実感からいえば転職は簡単だ。未経験の仕事だって1年あれば慣れる。転職で多少、給料が下がったって、2年もやれば追いつく。ま、普通はということですが。頭から学歴だの職種だのコネだので出世や給与水準が予見になってしまっている変な企業の話はしてません。このことは、転職何回もした人と話していてだいたいみんな合意だから、AIに職が奪われますよというメッセージは一つの勤め先、限られた職務範囲で長年勤めた人、あるいは長く勤めようとしている人に向けられていると考えていいんだろうなあ。
まあこの10年、20年を考えても無くなった職種や減ってしまった求人分野はたくさんあるわけだからAIがどうだこうだと言う以前に、まあ職業なんてそんなもんだと思っていればいいと言うことなんだけれども、こう言う議論がちょっとイヤな感じがするのは、ヒトをなんだと思っているのかという切り口。
サピエンス全史だっけ、書いたハラリさんと言う著述家が動画で喋ってる。「役に立たない人々という巨大な階級が出現している」という問題提起をしている。イスラエルの人だってね。このメッセージはリトマス試験紙だな。
そうだそうだ、と思う人もいるんだろう。いると思わなければこんな発言をわざわざするはずがない。「役に立たない人々」なんという傲慢な表現。でもよく聞くんだなこれが。ハラリさんだけじゃないよ。早い話、勤め先の社長副社長がよく言ってる。そういう人は給料を下げないといけない、って。そういう目線で生まれてくる概念ですね「役に立たない人々」。
あえて主語を抜くんだね。「俺にとって役に立たない人々」と実は彼らは言っている。そう私は思います。直接言ってやろうかな。多分「それは誤解だ。会社にとって役に立たない人々という意味だ」と彼らは反論するだろう。でもそれも一概には言えないでしょ。のんびりしていて機転は効かないけれども、いるだけで職場に暖かい雰囲気をもたらしてくれる人だって知ってるよ。何がどう「役に立つ」かなんて、簡単には決められないよ。というような細やかな議論は、前掲の社長副社長やイスラエルのハラリさんには通じない。そういう理解力、言葉を変えれば思いやりとか思慮深さみたいなものが、彼らの生き方には邪魔なのだろう。
AIやロボットが人間に取って代わることはない。人間に取って代わるとは、人間の代わりに日々の生活を生き、他人と交流し、何かを創造し、食事や音楽や絵画や演劇を楽しみ、恋愛したり子孫を残したりするということだ。議論すること自体がナンセンスではないか。
ただ単に、機械でもできる仕事は機械にやらせよう、人間は人間がやるべき仕事に回ろう、そういう話をいかにも恐怖譚みたいに仕立て上げて流布する経済誌の企画編集者は凡庸だと思う。いずれAIに取って代わられる職業かもしれないぞ。