20231019 健全な判断力とは

世界情勢が気になって仕事に身が入らない!?こんな日々を送ることになろうとは、思ってもいなかった、と言いつつ、これは明らかに歴史の大きな転換点であり、こんな時代に生まれ合わせて、まあ良かったというかなんというか。

 

藤原直哉氏の解説によれば(冴えてるなあと思う)、勝負はもうついていて、今野報道はただ映画を見ているようなものなのだと。ただね、それにしては凄惨ではないか。マウイ島の大火事にしても、ガザの病院への爆撃にしても、実際に多くの人が亡くなっているようだし。こんな「映画」を進行させなければならないとは、とやるせ無い気持ちになる。

 

既存の支配勢力は、まだそれなりの力を持っているのかもしれないと考える。いわゆるQは、すべてを直接制御しているのではなくて、例えばネタニエフ、ゼレンスキー、バイデン、岸田らを泳がせていて、彼らが実際、どういう人々であるのかを素のままで世界に見せている、そんな感じがするのだ。あるいは、ネタニエフもバイデンもゼレンスキーももはや入れ替わりであるとすれば、その入れ替わりを操作している勢力は一体何をする集団あのかということを世界に向けて見せている。

 

で、もうだいたい世界の人々は理解してきた。そうだったのか、と。ただ、自分の身の回りではイスラエルウクライナもワクチンもほとんど話題に上らない。日本人は、何を何処まで覚醒?しているのか、全くわからない。

 

覚醒するとは、次にパンデミックらしきことが起きたとされて、ワクチンらしきものを打てと言われて、ちょっと立ち止まって考えることができるようになっているかどうかだとも言えると思っている。そう考えると、前回は9割が接種したが、次はそれより少ないだろうから、少しは覚醒してきたと言えるのかもしれない。でもまた騙されそうな感じもあるな。どうなんだろう。

 

2021年夏の段階で「打ちません」と決めた人たちの判断力は、やはり優れていたと思うのだ。自分もそうだから、手前味噌になるところではあるが、あそこで打たないと判断した能力というか考え方というか、それが何であるか、何に由来するのか、よーく考えてみたい。そこに、大袈裟に言えば、日本人の将来がかかっているような感じがする。

 

老人が争うように接種したから年齢とともに判断力が向上するわけではなさそうだ。いい大学を出て大企業に勤めて出世した人たちも疑うことなく接種していたから、勉強ができると判断力がある、と言うことも出来ない。

 

政府が何と言おうが、国際機関が奨めようが、新聞テレビラジオが煽ろうが、心が動かされない。そういう状態を、なぜ非接種者は作ることができたのだろうか。

 

わたしの、今は亡き祖母は医者から処方された膨大な薬をほとんど飲まなかった。薬なんて、まじめに飲むもんじゃない、とか言っていた。もちろん、昔の人だし大学なんて出ていない。ただただ専業主婦を50年もやっただけの人だ。それでも薬なんか飲むもんじゃない、と言う考え方に到達していた。この自信?は何処からきたのだろう。今、私が一番、関心を持っている事柄です。